第27話 寛永の飢饉と改革
寛永元年(一六二四年)。
改元早々、天下は暗い影に覆われていた。
異常気象による冷夏と長雨が続き、関東から西国にかけて凶作が直撃したのである。後に言う**「寛永の大飢饉」**の始まりであった。
江戸城・本丸。
若き将軍・家光は、諸国から届く悲痛な報告に顔を歪めていた。
「……餓死者が道端に溢れているだと? なぜだ、なぜ大名たちは蔵を開かぬ!」
家光は床を叩いて激昂した。
側近として控える忠親(この時は参勤で江戸滞在中)もまた、伏見からの報告に心を痛めていた。西国でも米価が高騰し、一揆の寸前まで民の不満が高まっているという。
「上様。……直ちに幕府の天領の蔵を開き、大名たちにも『救済令』を出すべきです。民を見捨てては、徳川の慈悲が疑われます」
「うむ、その通りだ忠親! すぐに西の丸へ使いを出せ。父上(秀忠)と秀親殿の裁可を仰ぐのだ」
***
しかし、西の丸からの返答は、若き二人の予想を裏切るものであった。
「蔵を開くことは罷りならぬ」
西の丸執政・松平秀親が、氷のような無表情で本丸へ乗り込んできたのである。
家光と忠親は、秀親を取り囲み、抗議した。
「秀親! 民が飢えているのだぞ! 徳川の蔵には米が腐るほどあるではないか!」
「家光様。……今、幕府が安易に蔵を開けば、大名たちは『困れば幕府が助けてくれる』と甘え、財政再建の努力を怠りましょう」
秀親は、忠親の方を一瞥もしないまま、淡々と続けた。
「それに、飢饉は『篩(ふるい)』にございます。……この苦境を乗り越えられぬ大名、一揆を抑え込めぬ藩は、取り潰して領地を召し上げればよいのです」
「なっ……! 父上、それはあまりに非情!」
忠親が思わず声を荒げると、秀親は初めて息子の方を向き、侮蔑の色を浮かべた。
「忠親。お前は伏見で何を学んできた。……民に飯を配るのが政ではない。民が飯を食える『仕組み』を作るのが政だ。……その程度の浅知恵で、よくも将軍の補佐が務まるものだな」
秀親の言葉は、刃物のように忠親の自尊心を抉った。
***
秀親と大御所・秀忠が打ち出した策は、単なる救済ではなく、**「経済による統制」**であった。
秀親は、飢えた民に無償で米を与えることを禁じ、代わりに大規模な土木工事(河川改修や江戸の都市整備)を発注した。
「働かざる者、食うべからず。……その代わり、賃金はこの新しい銭で支払う」
秀親が提示したのは、真新しい銅銭――**『寛永通宝』**であった。
これまで全国でバラバラだった貨幣を統一し、幕府が鋳造したこの銭だけを流通させる。民は銭を得るために働き、その銭で幕府管理下の商人から米を買う。
これにより、幕府は「飢饉対策」と同時に、「貨幣発行権の独占」と「流通支配」を一気に成し遂げようとしたのである。
***
数ヶ月後。
秀親の策は功を奏した。
無償の施しを期待して怠惰になる者は消え、銭を求めて必死に働くことで経済が回り、結果として餓死者は最小限に食い止められた。
さらに、この混乱に対処できなかった無能な大名数家が、秀親の手によって冷徹に改易された。
江戸城・西の丸。
報告に来た忠親に対し、秀親は書類から目を離さずに言った。
「……見たか。これが『統治』だ」
「……はい。父上の深謀遠慮、己の未熟さが恥ずかしゅうございます」
忠親が頭を下げると、秀親は鼻で笑った。
「恥じる暇があるなら、伏見へ戻れ。……西国大名の中に、この新銭(寛永通宝)を拒み、未だに古い銭を使っている者がいるようだ。……どうすべきか、言わずとも分かるな?」
「……はっ。経済を乱す逆賊として、断固処断いたします」
忠親の目から、甘さが消えていた。
父の理不尽なまでの厳しさが、忠親を「理想家」から「実務家」へと、叩いて、叩いて、鍛え上げていく。
一方、家光はこの一件で、自身の無力さと、秀忠・秀親ら「大人たち」の壁の厚さを痛感していた。
(余はまだ、掌の上か……。だが、見ておれ)
若き将軍の中に、屈辱と共に、強力な権力への渇望が芽生え始めていた
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