第24話 忠長の野心
元和七年(一六二一年)。
江戸城・西の丸。
家光の元服により、次代の将軍は定まったかに見えた。しかし、江戸城内には未だ不穏な空気が漂っていた。家光の弟・徳川忠長(国松)。彼は容姿端麗で才気煥発、母・お江の寵愛を一身に受けており、保守的な譜代大名の中には「家光様よりも忠長様こそ次代に相応しい」と公言する者が現れ始めていた。
「忠親、聞いたか。駿河の大納言(忠長)の周りに、良からぬ者たちが集まっているようだ」
家光は、庭で木刀を振るいながら、隣に立つ忠親に苦々しく漏らした。忠親は、主君の揺れる心を見透かすように、静かに答えた。
「家光様。……お心乱される必要はございませぬ。木にたとえれば、貴方様は太い幹。忠長様はその横に生えた若枝に過ぎません」
「だが、その枝が幹を枯らそうとしているのだとしたら?」
家光の問いに、忠親は答えなかった。代わりに、懐にある一通の文を強く握りしめた。それは、伏見の父・秀親から届いた密書であった。
***
同時刻、山城国・伏見城。
松平秀親は、西国から江戸へ向かう街道を監視する「草(間者)」からの報告を受けていた。
「……忠長公の側近が、無断で外様大名と接触しております。さらに、朝廷の公家を通じて家光様の廃嫡を画策する動きも……」
秀親の瞳に、かつての戦場で見せた冷酷な光が宿る。
家康は死の間際、秀親に「徳川の世を乱す者は身内であっても殺せ」と命じた。秀親にとって、忠長が野心を持つこと自体が、徳川の泰平を崩す「害悪」であった。
「秀忠公は優しすぎる。お江の方への情で、忠長を甘やかしておられる。……ならば、私が泥を被るまでよ」
秀親は即座に、伏見100万石の権限を発動。忠長に味方しようとする大名たちの不祥事を次々と暴き、暗に脅迫に近い警告を送った。さらに、忠長の側近たちの不適切な振る舞いを「徳川の法度への抵触」として、公に裁く準備を進めた。
***
伏見の秀親が動いたことで、江戸の忠長派は急速に瓦解していった。
ある夜、忠親は家光の御前に呼び出された。
「忠親……。お前の父上が、駿河(忠長)の家老を更迭させたそうだ。母上(お江)が激怒しておられる。……お前も、父上に命じられて私を監視しているのか?」
家光の鋭い視線。忠親は迷わず、その場に平伏した。
「家光様。父が守っているのは、貴方様です。そして私が守るのも、貴方様ただ一人。……たとえ私が父の傀儡に見えようとも、私の魂は貴方様の剣にございます。疑われるのであれば、今ここでこの首を差し上げましょう」
家光は、忠親の震えるほどに真剣な声を聞き、ふっと力を抜いた。
「……すまぬ、忠親。私が弱かった。お前と伏見殿が、どれほどの覚悟で私を支えているか、今ようやく分かった」
***
この一件で、忠長は次第に孤立を深め、その野心は「狂気」へと変貌していくことになる。
伏見に戻った秀親は、月を見上げながら、成長した忠親を想った。
(忠親よ、お前は家光様の『友』であれ。……『敵』を討つ役目は、この父が死ぬまで引き受けよう)
松平秀親、四十一歳。
伏見100万石の「牙」は、徳川の身内という最も脆い部分を守るために、いっそう鋭さを増していく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます