第23話 竹千代、元服

元和六年(一六二〇年)。

 江戸城、大広間。

 この日、徳川の世を担う二人の若武者の門出を祝うべく、全国の諸大名が伏し拝んでいた。

 将軍・秀忠の嫡男、竹千代。十六歳。

 そしてその傍らに、影の如く控える万千代。十六歳。

 上座に座る秀忠が、厳かに宣言した。

「竹千代よ。今日より、父上(家康)の一字を譲り受け、**『家光(いえみつ)』**と名乗るがよい。徳川の家を光り輝かせる、三代将軍となるのじゃ」

 家光。その名が広間に響き渡る。

 続いて、秀忠の視線が、父・秀親の傍らに控える万千代へと移った。

「万千代。お前は我が子・家光の無二の友であり、徳川の未来を支える柱。わし自ら一字を授けよう。今日より、**『忠親(ただちか)』**と名乗れ」

 将軍・秀忠からの偏諱。それは、万千代が単なる「秀親の息子」ではなく、**「将軍秀忠が認めた、次代家光の守護者」**であることを天下に示した瞬間であった。

「家光、謹んで拝命いたします」

「忠親、上様(秀忠)より賜りしこの名に恥じぬよう、命を賭して家光様をお支えいたします」

***

 その様子を、末席から見守る一人の男がいた。

 伏見100万石の太守、松平秀親である。

 

(上様より直々に「忠」の字を頂くとは。忠親……お前はもはや、私の息子である以上に、徳川の公人なのだな)

 秀親は、かつて自分が家康から「秀」の字を授かった日のことを思い出していた。一字を授かるということは、その者の人生が徳川の宿命に捧げられることを意味する。秀親は自らの誇りと共に、息子が背負うことになった「汚れ役」も引き継ぐ宿命に、心の中で深く頭を下げた。

***

 元服の儀を終えた夜。

 江戸城の庭で、家光と忠親は二人きりで語り合っていた。

「家光様。……ついに、名前が変わりましたね。貴方様は家康公の『家』を、私は将軍様の『忠』を賜りました」

 忠親が微笑むと、家光は少し照れくさそうに、しかし真剣な目で応えた。

「家光と忠親。……響きがよいな。忠親、お前が父上から『忠』をもらったことは嬉しい。父上も認めておられるのだ。私が道を誤らぬよう、お前が繋ぎとめてくれることを」

「……そのために、私は生まれてまいりました。家光様が徳川の『光』となられるなら、私はその光を支える『誠実な影』となります」

 二人は、月明かりの下で互いの肩を叩き合った。家光が「名君」への道を歩むことを誓い、忠親が「鉄の忠誠」を誓う。それは、かつて家康が夢見た「縦の糸と横の糸」が、完璧な形となって織り合わされた瞬間であった。

***

 しかし、その光が強くなるほど、周囲の影もまた深まる。

 家光の弟、**忠長(国松)**を寵愛する母・お江の存在。そして、家光の資質を疑う保守的な譜代大名たちの囁き。

 伏見へ戻る道中、秀親は冷たい雨に打たれながら決意した。

(家光様と忠親……この若き双璧の道を阻む者は、身内であろうと容赦はせぬ。……忠親、お前がその手を汚す前に、私が伏見100万石の力で、すべての毒を飲み干してやろう)

 二代将軍・秀忠の影として、そして次代の家光・忠親の道を切り拓く先駆者として。

 松平秀親は、来るべき「家督争い」という嵐に向け、再び伏見の闇へと戻っていった。

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