第22話 異国の影
元和五年(一六一九年)。
伏見城、巨椋池(おぐらいけ)を望む物見櫓。
松平秀親の元に、長崎の密偵から緊急の報せが入った。
「宣教師らが商人に化け、禁教を潜り抜けて京・大坂へ入り込んでおります。背後にはスペインの軍艦の影も……」
家康の代から続く禁教令。しかし、西欧列強は大名たちに「鉄砲と硝石」を餌に、信仰を広め、日本を内部から切り崩そうとしていた。伏見100万石の主として、西日本の物流と治安を統括する秀親にとって、これは領土侵犯に等しい脅威であった。
「……神を信じるのは勝手だが、その神の名を借りて徳川の法を汚すことは許さぬ」
秀親は即座に京都所司代と連携し、京の市中に潜むバテレン(宣教師)の掃討を命じた。
***
そんな折、伏見城に一人の男が訪ねてきた。
英国人航海士、ウィリアム・アダムス――日本名、**三浦按針(みうらあんじん)**である。老境に入った按針は、秀親に警告を発した。
「秀親殿。スペインやポルトガルの狙いは、魂の救済だけではない。彼らはまず信仰を広め、次に信徒を蜂起させ、最終的に軍隊を送り込み、この国を植民地にする……。フィリピンや南米で行われたやり方だ」
秀親は按針の青い瞳を見つめ、静かに問いかけた。
「按針殿。お前の国(イギリス)も、同じことを企んでいるのか?」
「我が国は商いのみを望む。だが、他国は違う。徳川がこの国を一つに保ちたいのなら、海に『壁』を築くべきだ」
海に壁を築く――。のちの「鎖国」へと繋がる概念が、秀親の脳裏に刻まれた瞬間であった。
***
秀親は、西国大名の中にキリシタンと結託して密貿易を行い、軍備を整えている者がいないか徹底的な調査を開始した。その過程で、かつて関ヶ原や大坂の陣で共闘した譜代大名の身内までもが、教義に心酔している事実を突き止める。
「……たとえ血を分けた仲間であっても、徳川の天下に他国の神を招き入れる者は、逆賊と見なさねばならぬ」
秀親は心を鬼にし、潜伏していた宣教師らを捕縛、国外追放、あるいは処刑に処した。京の河原に上がる煙を見つめながら、秀親は自らの掌がますます黒く染まっていくのを感じていた。
***
江戸城。
竹千代(家光)と万千代は、按針から贈られた世界地図を広げていた。
「万千代。海の外には、こんなに広い世界があるのか。南蛮の王は、徳川をどう思っているのだろう」
竹千代の無邪気な問いに、万千代は父・秀親から届いた「西欧の脅威」についての密書を思い出しながら答えた。
「竹千代様。広い世界は、同時に多くの牙を隠しております。私の父は今、その牙がこの国に届かぬよう、海に門をかけようとしております」
「門……か。ならば、その門の鍵は、お前が持っていてくれ、万千代」
竹千代が微笑む。
将来、家光が断行する「鎖国」という決断。その思想の根底には、伏見で泥を被りながら異国の脅威と戦う秀親の姿があった。
しかし、信仰という「心」の問題は、力だけでねじ伏せられるものではなかった。この時撒かれた火種が、十数年後、万千代の世代に「島原」という地で燃え上がることを、まだ二人は知らない。
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