第21話 二代将軍の苦悩

元和三年(一六一七年)。

 江戸城、中奥。

 二代将軍・徳川秀忠は、山積みになった訴状を前に、深く溜息をついた。

「……福島に続き、今度は本多正純か。父上の懐刀であった者たちを次々と退ければ、徳川の屋台骨が腐ると申す大名が絶えぬ」

 秀忠は、生真面目さゆえに「法の執行」と「旧臣への情」の間で揺れていた。家康が存命の頃は、すべての決断を「親の遺志」に委ねられた。しかし今や、すべての批判は「将軍・秀忠」個人に向けられる。

 そこへ、伏見から急ぎ参内した松平秀親が姿を現した。

「兄上。将軍の座は、孤独なものにございます。しかし、その孤独を分かつために、私という『影』がおります」

「秀親……。お前は強いな。伏見では、一門の不満をどう抑えている」

 秀親は冷徹な眼差しで、秀忠を見据えた。

「抑えてはおりませぬ。……炙り出しているのです。上様(秀忠)の法に従わぬ者は、たとえ松平の血を引く者であっても、容赦はいたしませぬ」

***

 秀親が伏見へ戻ると、不穏な報せが届く。

 家康の六男・松平忠輝(秀忠の弟)が、改易後の不満を漏らし、西国の浪人たちと接触しているという噂であった。忠輝は伊達政宗の娘婿でもあり、その野心が発火すれば、徳川の身内から再び戦の火種が上がりかねない。

「……身内の膿を出す時が来たか」

 秀親は即座に隠密を放ち、忠輝の周辺を固めた。さらに、伏見100万石の兵を「演習」と称して大和・近江へ展開させ、忠輝を支持しようとする大名たちに無言の圧力をかけた。

 かつて家康が死の間際に遺した、「世を乱す者は身内であっても殺せ」という呪いの遺言。秀親はそれを、忠実に実行しようとしていた。

***

 結局、忠輝は厳しい追及の末に改易・配流となった。秀忠は弟を処罰したことに心を痛めたが、秀親は敢えて「冷酷な執行者」としての役目をすべて引き受けた。

「怨みを買うのは、伏見の私一人で十分。兄上は、天下の慈父として江戸に座していればよいのです」

 秀親は、血の繋がった兄弟さえも切り捨てることで、徳川の法が「例外なき正義」であることを天下に示した。

***

 その頃、江戸城の廊下では、若き竹千代(家光)が万千代に問いかけていた。

「万千代。父上は、また弟(忠輝)を遠ざけられた。将軍とは、これほどまでに家族を失わねばならぬものなのか」

 万千代は、伏見から届いた父・秀親の密書を懐に、毅然と答えた。

「竹千代様。家族を失うのは、国という大きな『家族』を守るためでございます。……我が父が今、その汚れをすべて被っております。いつか貴方様が立たれる場所を、一分の曇りもない黄金の椅子にするために」

 竹千代は、震える手を万千代に握らせた。

「……お前の父上は、恐ろしい。だが、誰よりも徳川を愛しておられるのだな」

 秀親の振るう「影の刃」が、皮肉にも秀忠の権威を鋼のように鍛え上げていく。

 しかし、その過酷な統治は、大名たちの怨嗟を伏見100万石へと集中させていった。

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