第18話 夏の陣・天王寺
慶長二十年(一六一五年)五月。
大坂の空は、命を焼き尽くさんばかりの真夏の日差しに包まれていた。
冬の陣の和議により、大坂城の外堀・内堀は、秀親が送り込んだ伏見の土木集団によって完膚なきまでに埋め立てられた。裸同然となった大坂城に対し、家康は非情にも「浪人の解雇」と「大坂からの転封」を要求。これを拒絶した大坂方は、ついに最後の死守を決め、城を出ての野戦を挑んだ。
伏見100万石の太守・松平秀親は、茶臼山から天王寺口へと続く最前線に、精鋭二万を率いて布陣していた。
「……堀を埋められた虎が、最後に牙を剥きに来るぞ。全軍、盾を厚くせよ」
秀親の予感は的中した。
五月七日正午。真田幸村(信繁)率いる赤備えの軍勢が、徳川本陣に向けて決死の突撃を開始したのである。
***
「真田左衛門佐、推して参る!」
幸村の叫びと共に、赤い波が徳川の陣を次々と飲み込んでいく。その勢いは凄まじく、松平忠直(秀康の長男)の軍勢を突破し、ついには大御所・家康の本陣にまで肉薄した。家康はあまりの猛攻に、「もはやこれまで」と二度まで自害を覚悟したという。
だが、その暴風のような真田勢の前に、巨大な防壁として立ちはだかったのが秀親であった。
「撃て! 怯むな! 弾の雨で英雄を葬れ!」
秀親は武士の矜持よりも、冷徹な勝利を選んだ。伏見の莫大な富で買い揃えた鉄砲隊を三段に構え、幸村の進路を十字砲火で封じ込める。100万石の物量が、真田の「武勇」を力ずくで押し返していく。
夕刻、ついに力尽きた幸村が安居神社の境内で討ち取られたという報が届いた。
秀親は、返り血を拭うこともなく、ただ一言呟いた。
「……さらばだ、戦国の亡霊よ」
***
翌、五月八日。
大坂城は、秀親が伏見から運び込ませた大砲の砲撃と、内応者の放火により、巨大な火柱となって燃え上がっていた。
秀頼と淀殿は、城内の山里丸にある蔵の中で自害。
ここに、栄華を極めた豊臣家は滅亡した。
燃え盛る天守を仰ぎながら、秀親は脇に控える近習に命じた。
「千姫(秀忠の娘)を救い出した者へ伝えよ。……よくやった。これで江戸の竹千代君に、悲しい顔をさせずに済む」
だが、秀親の顔に勝利の喜びはなかった。
家康の密命とはいえ、自らの知略と百万石の力で、かつての主君の血筋を絶やした。その業(ごう)の深さを、誰よりも秀親自身が噛み締めていた。
***
戦後、死臭の漂う戦場を歩く家康のもとへ、秀親は参じた。
家康は馬上でひどく咳き込んでいたが、秀親の顔を見ると、安堵したように微笑んだ。
「……秀親。これでもう、戦は終わりじゃ。……わしの代わりに、汚れ仕事をすべて引き受けてくれたな。……すまなんだ」
「……滅相もございません。すべては、徳川の万代の泰平のため」
家康は震える手で、秀親の肩を強く握った。
「これで、竹千代と万千代に……まともな世を渡せるな」
その言葉を聞いた瞬間、秀親の目に初めて涙が浮かんだ。
信康の死から始まり、人質生活、そして伏見100万石の守護者への道。すべてはこの一刻のためにあったのだ。
***
同年六月。
戦勝報告のために江戸城へ戻った秀親を、成長した万千代が迎えた。
万千代は、父の甲冑に刻まれた無数の傷と、煤(すす)に汚れた顔を見て、すべてを悟ったように深く、深く頭を下げた。
「父上、お帰りなさいませ。……竹千代様が、お待ちです」
「……ああ。万千代。……これからは、お前たちの時代だ」
秀親は万千代の頭を撫で、将軍・秀忠と、次代を担う竹千代(家光)が待つ奥へと歩き出した。
戦国の幕は、ついに下りた。しかし、その平和を維持するための「影」の苦闘は、また新たな形となって次世代へ受け継がれていく。
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