第17話 冬の陣・真田丸
慶長十九年(一六一四年)十一月。
大坂平野は、徳川方二十万の大軍によって埋め尽くされていた。
江戸から出陣した二代将軍・秀忠軍。そして、駿府から老いた体に鞭打って駆けつけた大御所・家康。その両軍を繋ぎ、兵站と戦略の要を握るのが、伏見城から出陣した松平秀親であった。
かつての領地・尾張は九男の義直が、三河は譜代たちが固めている。秀親は伏見100万石の精鋭を率い、大坂城の南、天王寺口に布陣した。
「……落ちぬな。さすがは太閤が築いた天下の要塞」
秀親は茶臼山の本陣で、遠眼鏡を覗き込んだ。
徳川軍の猛攻をことごとく跳ね返しているのは、城の南側に突出して築かれた小さな出城――**「真田丸」**であった。
***
「真田左衛門佐(幸村)か。……兄上(秀康)が生きておられれば、これほど頼もしい味方はなかったろうに」
秀親は、隣に座る家康に呟いた。
真田丸の前に、井伊直孝や前田利常といった徳川方の精鋭が次々と撃退され、戦場には死体の山が築かれていた。家康の顔は、焦りと病の苦しみで歪んでいる。
「秀親……。力攻めはもうよい。百万石の主として、お前の『闇』を見せてみろ」
家康の掠れた声に、秀親は静かに頷いた。
秀親には、武勇による手柄など必要なかった。彼が望むのは、江戸の秀忠と、成長した万千代に「戦のない世」を遺すこと。そのためには、真田の勇名さえも利用して見せる。
***
その夜。秀親は、伏見から同行させた腕利きの間者たちを放った。
彼らが運んだのは、鉄砲でも矢でもない。一通の「偽書」であった。
「真田幸村は、密かに徳川と内通している」
「恩賞として、信濃一国を約束した」
そんな噂を大坂城内に流布させると同時に、秀親は伏見の物流網を駆使し、真田丸へ運び込まれる弾薬と兵糧の経路を、目立たぬよう、しかし確実に断ち切っていった。
(幸村よ。お前が個人の『武』で戦うなら、私は組織の『理』で戦おう)
さらに秀親は、イギリスやオランダから取り寄せた最新式の長距離大砲(カルバリン砲)を伏見の蔵から引き出し、茶臼山に据え付けた。
***
十二月十六日。
秀親の合図と共に、数十門の大砲が一斉に火を噴いた。
標的は真田丸ではない。その奥にある、淀殿が鎮座する大坂城・天守であった。
轟音と共に、天守の柱が砕け、淀殿の侍女たちが犠牲となる。城内に響き渡る女たちの悲鳴。
秀親の仕掛けた「内通の噂」による疑心暗鬼と、逃げ場のない砲撃が、ついに大坂城の戦意を根底から叩き潰した。
「和議に応ぜよ! 真田も大野も信じられぬ。もう耐えられぬ!」
淀殿の狂乱した叫びが、抗戦を主張する武将たちを沈黙させた。
***
和議が成立し、大坂城の外堀が埋められることが決まった夜。
秀親は、陣屋で江戸からの文を読んでいた。万千代からの報告である。
『父上。江戸では竹千代様(家光)が、西の空を見上げては「万千代の父上は、いつ敵を平らげるのか」と心待ちにされています。……私は「父は戦わずして勝つ術を心得ております」と誇らしげに答えました』
秀親は、微かに微笑んだ。
「万千代……。お前が守る主君に、戦の惨さを見せずに済むなら、私はどれほど泥を被っても構わぬ」
だが、秀親の目は笑っていなかった。
堀を埋められ、裸にされた大坂城を見つめながら、彼は確信していた。
「来年の夏には、すべてが終わる」
冬の陣の終焉。それは、豊臣家滅亡という名の「最終章」への、残酷な序曲に過ぎなかった。
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