第15話 名古屋築城

慶長十四年(一六〇九年)。

 駿府城、奥御殿。

 「秀親。清洲では、もう大坂を抑えきれぬ」

 大御所・家康は、広げた地図の一点を指差した。

 清洲は低湿地にあり、大規模な拡張が難しい。さらに、西国大名が大坂から東上してきた際、最初にぶつかる要衝としては、防御力に不安があった。

「清洲の町を、まるごと北へ移す。……那古野(なごや)の台地に、誰も見たことがないような堅城を築け。これを、西国二十大名による『天下普請』とする」

 秀親は、家康の壮大な構想に身を震わせた。清洲城下の寺社、民家、橋、石垣に至るまでをすべて移転させる「清洲越し」の断行である。

「祖父上……。それは尾張の民に多大なる負担を強いることになります。しかし……」

「わかっておる。だが、豊臣秀頼が成人し、大坂城の威光が再び高まる前に、徳川の力を目に見える形で示さねばならん。秀親、普請の総指揮はそなたに任せる」

***

 慶長十五年(一六一〇年)。

 名古屋の大地は、数万の人足と武士たちの熱気に包まれていた。

 加藤清正、福島正則、黒田長政……。かつて豊臣に忠誠を誓った名だたる西国大名たちが、徳川の命により、自らの財を投じて巨石を運んでいる。

「……何が悲しくて、徳川のためにこれほどの石を積まねばならんのだ」

 現場で汗を流す福島正則が、皮肉げに秀親を睨んだ。

 秀親は、清正が寄進したという巨大な「清正石」の前に立ち、動じることなく答えた。

「福島殿。これは単なる石垣ではございませぬ。……この城が完成した時、天下の誰もが悟るのです。武士の世を統べるのは、もはや大坂ではなく、徳川であるとな」

 秀親は、あえて西国大名たちの不満を正面から受け止めた。彼は知っていた。この築城こそが、彼らの戦意を削ぎ、経済を圧迫し、物理的にも精神的にも「豊臣復興」の目を摘むための、壮大な「罠」であることを。

***

 そんな中、秀親を支えたのは、成長した嫡男・万千代であった。

 わずか六歳の少年は、普請の現場を父と共に歩き、荒々しい石工たちの仕事を見守っていた。

「父上。……この城は、誰を守るために築いているのですか?」

 秀親は、建設途中の高い石垣を見上げて答えた。

「万千代。この城は、江戸の竹千代君を守るための盾だ。……ここが落ちぬ限り、西の波風が江戸に届くことはない。……お前が大人になった時、この城の主として、その重みを背負うのだ」

 万千代は、まだ小さな拳を握りしめ、「はい」と短く答えた。その瞳には、家康から授かった「万代に渡り支える」という宿命の光が宿っていた。

***

 慶長十七年(一六一二年)。

 ついに、名古屋城の天守が完成した。

 屋根に輝く金の鯱(しゃちほこ)は、朝日に照らされ、遥か大坂からも見えるのではないかと思えるほどの威光を放っていた。

 この城の完成により、東海道の守りは鉄壁となった。

 家康は駿府で笑みを浮かべ、秀忠は江戸で安堵の息をついた。

 だが、その輝きの裏で、追い詰められた大坂城の淀殿たちの怒りと焦りは、爆発寸前まで高まっていた。

「名古屋城……。徳川が、ついに我らの喉元に牙を突きつけてきたか」

 淀殿の呟きは、やがて天下を二分する最後の嵐、「大坂の陣」へと繋がっていく。

 秀親は、完成したばかりの天守閣に立ち、西の空を見つめていた。

「来るなら来い、大坂。……この城を越えられるものなら、越えてみよ」

 松平秀親。三十三歳。

 徳川の最強の壁として、彼は運命の決戦を静かに待ち構えていた。

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