第14話 秀康の死

慶長十二年(一六〇四年)閏四月。

 越前国、北ノ庄。

 春の光が北国を照らし始める頃、徳川一門の巨星が今にも堕ちようとしていた。

 結城秀康、三十四歳。家康の次男として生まれながら、数奇な運命を辿り、徳川の「西の盾」として越前六十七万石を治めた英傑が、病の床に伏していた。

 伏見での特命を終え、急ぎ北ノ庄へ駆けつけた秀親は、やつれた秀康の姿に息を呑んだ。

「……秀親か。忙しい折に、すまぬな」

 秀康は、かすれた声で微笑んだ。

「兄上、何というお姿を……。すぐに駿府から名医を呼び寄せます」

 秀親は、父・信康を早くに亡くした自分にとって、武人の鑑であり、兄のように慕ってきた秀康の手を握りしめた。

「よい。……己の命の火が、いつ消えるかくらいは分かる。それよりも、秀親……顔を上げよ」

 秀康は、震える手で秀親の腕を掴み返した。その力は驚くほどに強く、まだ武人の魂が消えていないことを物語っていた。

「わしは、家康公の息子として生まれたが、一度も『徳川』を名乗ることは許されなかった。……だが、不満はなかった。わしが北を固めることで、江戸の秀忠が、そして徳川の世が守られるのであればな」

 秀康は一度、激しく咳き込んだ。

「秀親よ。……わしが死ねば、西の抑えが揺らぐ。大坂の者たちは、わしの死を喜び、再び牙を剥くだろう。……お前に、わしの代わりが務まるか」

「……全力を尽くします。兄上のように、強く、恐れられる守護者となってみせます」

「違う」

 秀康は首を振った。

「お前は、わしのようにはなるな。……わしは武を以て守ろうとした。だが、これからの世は武だけでは守れぬ。……知略を尽くし、徳川の『牙』ではなく『壁』となれ」

 秀康は、枕元に置いてあった一振りの脇差を秀親に授けた。

「これを持って……西を頼む。……わしが成せなかった『徳川の安泰』を、お前と万千代で、見届けてくれ」

 その数日後。結城秀康は静かに息を引き取った。

***

 葬儀の後、秀親は北ノ庄の城門に立ち、どんよりとした北国の空を見上げていた。

 そこへ、駿府からの使者が現れる。

「上様(家康)より沙汰にございます。……結城秀康公亡き後、伏見の守り、および西国大名の監視の全権を、尾張守・秀親様に委ねる、とのこと」

 ついに、その時が来たのだ。

 「兄」と慕った秀康が命を削って守ってきた「西の最前線」。その重責が、今、秀親の肩に完全にのしかかった。

 秀親は秀康から授かった脇差を強く握りしめた。

 (兄上、見ていてください。私は、徳川の壁となります)

***

 清洲に戻った秀親は、成長した万千代を抱き上げた。

「万千代。父は、伏見へ行く。……お前は、この尾張を、徳川の根を、しっかり見守っていろ」

 万千代は、力強くその指を握り返した。

 時代は、静かに、しかし確実に「大坂の陣」へと向かって加速し始めていた。

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