第13話 伏見の再建
慶長十一年(一六〇六年)。
山城国、伏見。
将軍の座を秀忠に譲り「大御所」となった家康は、駿府城の改修が終わるまでの間、伏見城を拠点に西国への睨みを利かせていた。
天下普請により、西国諸大名が伏見に集い、石垣を積み、堀を掘る。その労役は彼らの財力を削ると同時に、徳川への服従を試す試金石でもあった。
ある夜、秀親は伏見の市中を、お忍びで歩いていた。
そこで彼は、一人の男と再会する。
かつて関ヶ原で共に戦い、今は伏見普請に奔走している福島正則であった。
「……これはこれは、尾張の若殿(秀親)ではないか」
正則は、酒の匂いを漂わせながらも、その眼光は鋭い。
「伏見の普請は疲れるわい。……徳川の御身内たる貴殿には分からぬかもしれんが、わしらのような豊臣の旧臣が、こうして新将軍(秀忠)のために泥を運んでいる姿は、世が世なら滑稽千万よ」
「福島殿。……言葉が過ぎますぞ。これも天下泰平のための普請」
「泰平、か。……秀親殿。あんたは信長公の血を引き、家康公の孫でもある。徳川の『一門』という殻に閉じこもるには、あまりに惜しい血筋だと思わぬか」
正則は、秀親の肩に手を置いた。
「大坂には、光り輝く秀頼公がおられる。……あんたのような男こそ、あの若君の傍らで、真の天下を支えるべきではないのか。徳川の都合に合わせた『平穏』に甘んじるのが、本当に貴殿の本望か?」
正則の問いには、豊臣への拭いがたい郷愁と、徳川への反発が混じっていた。
秀親は、その手を静かに、しかし力強く振り払った。
「福島殿。……私は、徳川の世を盤石にすることこそが、祖父・信長公の志をも継ぐ道だと信じている」
秀親の瞳には、一切の迷いがない。
「私は家康公の孫であり、松平秀親だ。……上様(秀忠)が江戸で泰平の政をなさるなら、私はこの西の地で、徳川の威光を妨げるあらゆる不穏を断つ。それが私の誇り。……大坂の光を仰ぎたいのであれば、福島殿、貴殿お一人でなさるがよい。ただし、その光が徳川の世を乱す火種となるなら、私は容赦せぬ」
正則は、秀親の放つ冷徹な気迫に気圧され、乾いた笑い声を上げた。
「……ハハッ。さすがは『尾張の虎』。身内を敬う振る舞いの中に、恐ろしいほどの牙を隠しておられる。……いや、失礼した」
秀親は、背を向けて去っていく正則の姿を見送った。
(福島、加藤……彼らはまだ『豊臣の夢』の中にいる)
***
翌朝。
秀親は伏見城へ登城し、家康に報告した。
「福島殿の心、未だ大坂にございます。……西国の抑え、一段と厳しくせねばなりませぬ」
家康は、満足げに頷いた。
「それでよい、秀親。……夢を見ている者は、いずれ現実に絶望する。……わしは、彼らが絶望するまでの時間を、この伏見で作ってやるのだ」
家康は、再建が進む伏見城の天守を見上げた。
この城は、秀吉が愛した城でありながら、今は徳川が豊臣を監視するための巨大な楔(くさび)となっていた。
秀親は、その傍らで静かに自らの使命を噛み締めていた。
結城秀康の体調が悪化しているという不穏な知らせも、伏見に届き始めていた。
西の防波堤が崩れれば、自分がその場所に立つしかない。
松平秀親の戦場は、もはや野山ではなく、この伏見の深く鋭い政(まつりごと)の中にあった。
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