第4話 七十万石の重み
慶長五年(一六〇〇年)十月一日。
京、六条河原。
秋雨がしとしとと降る中、石田三成ら三名の処刑が執り行われた。
沿道を埋め尽くす群衆の喧騒をよそに、松平秀親は桟敷席(さじきせき)の中央で、微動だにせずその光景を見届けていた。
その姿は、冷酷というよりは、厳粛であった。
黒の直垂(ひたたれ)に身を包み、背筋を伸ばして座る若き貴公子。その横顔には、祖父・家康の持つ重厚さと、もう一人の祖父・織田信長の持つ鋭利な美しさが同居している。
首が落ちた瞬間、秀親は静かに扇を閉じた。
「……見事な最期だ。敵ながら、あっぱれである」
秀親は立ち上がり、控えていた家臣たちに命じた。
「遺体は丁重に葬れ。……敗者とはいえ、一時は天下を動かした男たちだ。辱めることは許さん」
それは、勝者としての驕りではなく、名門・徳川の血を引く者としての矜持(きょうじ)であった。
***
十月中旬。大坂城、西の丸。
論功行賞の広間には、全国の大名が緊張した面持ちで並んでいた。
福島正則が安芸広島四十九万石へ、黒田長政が筑前五十二万石へと、外様大名たちが次々と遠国へ封じられていく。
彼らは加増を喜びつつも、家康の「体のいい厄介払い」であることに薄々気づき始めていた。
そして、最後に家康の声が響いた。
「松平秀親、前へ」
「はっ」
秀親が静かに進み出る。
その所作の美しさに、諸大名が思わず息を呑む。亡き松平信康の面影を宿すこの青年は、そこにいるだけで「徳川の威光」を体現していた。
「そちの関ヶ原での働き、誠に天晴れであった。……我が長男・信康が生きておれば、かくやと思わせる武者ぶりよ」
家康の目が、慈愛に細められる。
「よって、そちには尾張国および三河国、計七十万石を与える」
広間がどよめいた。
七十万石という石高の大きさだけではない。
三河は徳川発祥の地。尾張は織田発祥の地。
その二国を合わせ持つということは、秀親が**「徳川と織田、双方の正統なる後継者」**であることを天下に知らしめるに等しかった。
「……謹んで、拝領いたします」
秀親は平伏した。
福島正則が、複雑な表情で秀親を見ている。自分から取り上げられた尾張が、この若き貴公子に渡る。だが、その血筋の前では文句も言えなかった。
***
その夜。
家康の私室にて、祖父と孫の二人だけの時間が流れていた。
家康は、秀親に自ら茶を点てていた。
「……秀親。尾張と三河、重いか」
「重うございます。……石高の重みではなく、そこに眠る先祖の御霊(みたま)の重みが」
秀親は、茶碗を手に取り、静かに言った。
「三河は、祖父上が苦難の末に築かれた松平家の聖地。尾張は、母上の父・信長公が覇道を歩み始めた地。……その両方を預かるとは、身の引き締まる思いです」
「うむ……」
家康は満足げに頷いた。
「わしはな、秀親。……あの地を、ただの軍事拠点とは思っておらん。あそこは徳川の『魂』じゃ」
家康は秀親の手を握った。その手は、温かかった。
「他の誰にも任せられん。……信康の忘れ形見である、そちだからこそ任せるのだ。……行ってくれるな? 故郷へ」
それは、天下人としての命令ではなく、祖父としての願いだった。
秀親は、家康の目を見て、力強く頷いた。
「お任せください。……父・信康の無念、そして祖父上の悲願。すべてこの秀親が引き受け、東海道を盤石の地としてみせます」
「頼んだぞ。……そちがいれば、秀忠も安泰だ」
***
翌朝。
大坂を発つ秀親を見送りに、徳川秀忠がやってきた。
秀忠は、立派に成長した従兄弟の姿を眩しそうに見つめていた。
「秀親。……尾張へ行くのか」
「はい。兄上が住まう江戸と、ここ京・大坂。……その間を繋ぐのが、私の役目です」
秀親は、馬上の人となり、振り返った。
「兄上。……私は三河で、徳川の古い家臣たちをまとめ上げ、最強の軍団を作ります。……いつか兄上が困った時、必ずその軍団を率いて駆けつけます」
「心強いな。……わしも負けてはいられん。江戸で、父上に恥じぬ政(まつりごと)をする」
秀親は微笑んだ。
それは従者の顔ではなく、対等な「双璧」としての笑顔だった。
「では、また会う日まで」
秀親の行列が東へと進み始める。
その背中には、七十万石の太守としての威厳と、二つの英傑の血を引く者だけが持つ、孤独な輝きがあった。
若き虎は、聖地・三河へと帰還する。
そこには、一筋縄ではいかない頑固な三河武士たちが待ち受けている。だが、秀親には不安はなかった。
自分の中に流れる血が、彼らを心服させる最大の武器になることを知っていたからだ。
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