第9話 夫婦になった日
――――ヒュオオオオ……ッ。
幼い耳には魔物のように鳴り響く。小さな足で雪まみれになりながらとぼとぼと歩いていた。
「きゃっ!?」
ぼふんと雪に沈む小さな身体。
「おい、大丈夫か」
突如力強い腕に引き上げられる。
「あの……」
3、4歳年上だろうか。馬を傍らに引き連れた少年は美しいサファイアブルーの瞳をしていた。
「どこまで行く気だ」
「おうちまで……帰るところなの」
「なら送ってく」
「……でも」
「どのみち除雪も追い付いてない道じゃ、お前みたいなちびならまたこけるだろ」
「……」
「少しは怒らないか」
「本当だから」
「分かってるなら、馬に乗れ。俺の前に座らせてやる」
「うん……」
彼に手伝ってもらい、初めて馬に股がった。その後ろに彼が股がり、外套を私にも被せるように回してくる。まるで腕の中に抱き締められるような状況にハッとする。
「おい……恐くはないか」
「えあ……っ、う、うん」
彼が呼んでいることに気が付き慌てて返事をする。
「お馬さん、寒くないの?」
「雪国育ちだからな。これくらいへっちゃらだ」
そう思えるほどに、脚は太くがっしりしている。その脚でずんずんと雪を掻き分けていく。
「お馬さん、よろしくね」
ヒヒンと鳴けば、お馬さんはあまり揺らさないようゆっくり進んでくれていることが分かった。
優しい……まるで馬に乗せてくれたこの少年みたいである。
「それにしても、何だってこんな冬の日に……」
「ペネロペが……妹が今日はチーズの気分だからと」
ペネロペの我が儘は大雪などお構いなしだ。
「でも雪がひどくて商人が来られないから私にって」
「はぁ?何だそりゃ。甘やかしすぎなんじゃないのか」
「……そうだね」
「お前はそれでいいのかよ」
「私にはどうしようもできないから」
「……子どもは無力だ」
「うん」
「だからこそ俺は大人になったら力をつけてやる」
「どうするの?」
「騎士になるんだ、兄上のために」
「騎士?すごいね。でも……お兄さん?」
「そうだ。兄上はいずれ……そうだな。家を継ぐから、俺は仕える騎士になる」
「……カッコいい」
私は長女だが家を継げない。
その先どうやって生きるかすら分からないと言うのに、彼は子どもながらにしっかりと将来を見据えているのだ。
「だろう?だからさ、その……妹のやつが大きくなっても我が儘三昧なら、俺が追い返してやる」
「あなたが……?」
「もちろん。俺は騎士になるんだからな」
「……うん!」
冬のある日の出会い。まだ名前も知らなかった少年のお陰で無事に屋敷に帰ることが出来た。
帰ったら帰ったらで、ペネロペがやっぱりチーズなんていらないと言ってきたのは理不尽でしかなかったが。
――――すぅと目が覚める。
「懐かしい夢ね」
こんな夢を見たのは、冬めく朝のひんやりとした空気のせいだろうか。
「約束……守ってくれたんだ」
今までは生きていくことに必死で思い出す余裕すらなかったが。
「奥さま、おはようございます。お部屋はただいま暖めておりますがお寒くはないですか?」
ヴィオラがストールを持ってきてくれる。
「ありがとう、ストールのお陰で暖かいわ」
「それはようございました」
――――ひんやりとした廊下にも美味しそうな匂いが漂ってくる。
匂いを辿り朝食の元に着けば、既にフェルさまが待っていた。
「おはようございます、フェルさま」
「おはよう、リーシェ。席に着くといい」
「はい」
温かな大公邸の朝。こうして2人で朝食を取ることにもだいぶ慣れてきた。
「それと、今日は1日空いていると思うが」
「ええ」
何もなければお菓子作りや刺繍でもしようと思ったのだが。
「今日は俺も非番なんだ」
「お休み……」
以前はいつも仕事に赴いているようなイメージだった。思えば休みも当然あるはずよね。
「今日はその……城下の建国祭に行ってみないか?」
「城下の……っ。行くとしても初めてだから何も分からなくて」
「問題ない。昔から城を抜け出しては城下に繰り出してたから、慣れてる」
「フェルさまったら……っ!」
どうやら王子時代はかなりのやんちゃ……そう言えば。
「……あの、私、昔大雪の日にフェルさまに会ったことがあるんです」
「……覚えていたのか」
フェルさまがサファイアブルーの瞳をそっとそらす。
「フェルさまこそ、私のことを覚えて……?」
「侯爵家の令嬢が大雪の日に一人で出歩いてたら印象に残る。家は知っていたからな」
「……そ、それはまぁ」
「こうして婚姻を結ぶ仲になるとは思っていなかったが」
「はは……ですね」
「そうだ、どうせなら馬で行こうか。あの時のような雪道ではないだろうが」
「その、だとしても馬はどうするんです?連れて歩くにも……」
祭の場は人々でごった返しているだろうし。
「騎士団の出張所があるはずだ。そこに預ける」
「皆さまそうされるの?」
「さぁ?俺は昔からだから」
昔からそう言う感じで脱走していたから騎士団とも仲がいいのだろうか……。
――――そして朝食後、厩に向かえば厩番が慣れた手付きで準備をしていた。
「よし、あの時よりも視界は高いだろうな」
あの頃と同じようにフェルさまの前に座らせてもらう。
「ええ。昔は子ども向けの馬だったのね」
「ああ。小柄な馬に乗っていたんだ。今は引退して多くの馬の母や祖母となったが」
「もしかしてこの子は」
「分かるか?孫だよ」
「お孫さん……!あの時はおばあちゃんに乗せてもらったんだよ」
お馬さんを撫でれば、嬉しそうにヒヒンと鳴く。鳴き声はそっくりだ。
「今日はよろしくね」
ヒヒンともう一度鳴けば、早速出発する。
そしてあまり揺らさぬように歩いてくれるのは祖母譲りの優しさだろうか。
「そう言えば分からないことがあるの」
「うん?」
「あの時フェルさまは大雪の中何をしていたのかって」
「ああ……あの時か。大雪だからと城に閉じ込められるのが不満だったから、取り敢えず外に繰り出したんだ」
ニッとイタズラっぽい表情を向けてくる。
「ちょ……っ、王子さまが何を」
「でもそのお陰でちびを拾えただろ?」
「もうちびじゃありません!」
「ははっ、言うようになった」
「お陰さまで」
落ち葉の道に和やかな笑いが響く。
あの頃と同じように、フェルさまの腕の中に収まりながら思う。いつの間にかこの場所がひどく落ち着く場所となっている。
――――騎士団出張所。
「これはこれは王弟殿下。またいつもの脱走ですか?」
「こら、もう臣籍降下してるんだから脱走じゃない」
馬を預けながらも騎士団員と仲良さげに笑い合う。どうやらこれはいつものジョークらしい。
「それでは奥さまと楽しんで」
「ああ、サンキューな」
騎士団員に見送られながら、私たちは祭の喧騒の中へと脚を踏み入れる。
「わぁ、すごいわね。まさにお祭だわ」
「建国祭の観劇に楽器の生演奏、大道芸。露店もあるぞ」
「ええ!とっても楽しそう!」
人々も思い思いに楽しんでいるように見える。
「だろう?ここにいると守るべきものを肌で感じることが出来るから好きなんだ」
「……フェルさま」
普段の遠征や魔物討伐も民を守るためだもの。度々城を脱走していたのもそのためだったのかしら。
「この祭が終わったら小規模だが討伐の予定も入ってる」
「今度は冬に向けて忙しくなるんだよね」
「ああ」
「日持ちのする菓子や保存食、また作るから」
「いつも助かるよ」
私もフェルさまのために役立てている。それが何よりも嬉しいのだ。
「ほら、露店で何か買っていこう。どれがいい?」
「その……串焼きを食べてみたいです」
祭から帰ってきたローズ伯爵家のメイドたちが美味しかったと話しているのを聞いたことがある。
「それじゃぁ肉串にするか」
「はい……!」
そして慣れていると言うのは本当のようで、フェルさまがささっと勘定まで済ませてくれる。
「ほら、リーシェ」
「ありがとう!」
はむっと口に含めば、肉汁がじゅわっと広がる美味しさに歓喜の声を上げる。
「美味しい!」
「だろう?祭で食べると格段と旨い」
「うん!」
まさにあっという間に平らげてしまうほどだ。
「それから各地の名物なんてのもあるぞ。王都には色んなものが入ってくる」
「そうね。見たことがないものもたくさんあるみたい」
「例えば……これは知っているか?」
フェルさまが案内してくれた露店には不思議な焼き物が並んでいる。
「イカメシって言うんだ。海辺の地域では良く食べられている」
「へぇ……初めて見るわ」
「味も旨いぞ。おっちゃん、2匹くれ」
「あいよ」
相変わらず買い物も手慣れてるわね。
「んんっ、中にお米が入ってるのね!」
「そうそ。味もしみてて美味しいだろ?」
「ええ。とっても美味しいわ!」
海の近くにもまだまだ知らないグルメがあるのね。フェルさまと楽しめるのが何より嬉しいわね。
「少し歩くか。あっちでは大道芸や剣舞をやっているようだ」
「ええ。盛り上がっているわね」
イカメシをつまみながら催しを楽しむ。
手品やアクロバット、吟遊詩人の歌も面白い。
「あっちは剣舞のようだ」
「見に行ってみる?」
「ああ!」
心なしか楽しそうに見えるのはやはり騎士だから剣も好きってことかしら。
しかし私も普段身近で見ることはないから興味が湧く。
「へぇ……演劇の中に剣舞を組み込んでんだな」
フェルさまが感心したように見入っていた時。
『荒ぶる魔物に一歩も引かず、王国の英雄王弟殿下のトドメの一撃!』
そんな劇の一節が流れてフェルさまが吹き掛ける。
「い……行こうか」
「えっ。最後まで見ないの?」
「いや、自分の観劇となるとその、恥ずかしいと言うか」
照れたように告げるフェルさまの表情は新鮮だ。
「ふふっ」
「り、リーシェ?」
「何でもない」
ちょっとかわいいと思ってしまった……なんて言ったら騎士の沽券に関わるかしら?
「いや、教えてくれ。正直な感想を」
えらく真剣な表情ね?
「カッコいいわよ。今も昔も、ね?」
「その、あれは劇だし」
「そりゃぁ実際の魔物討伐とは違うんでしょうけど……でも、あんな風にカッコよく戦ってるんだって思うと誇らしくなるわ」
私たちの王弟殿下。私の旦那さま。
「……リーシェ」
「私にとっては……」
あれは初恋と呼ぶべき出会いだったのだろう。
「ずっとずっと……あなたは私を守ってくれるヒーローなのよ」
「……っ!ああ、もちろんだ」
フェルさまの腕が私を包み込む。いつの日も私を守ってくれた優しくて力強い腕。
その腕に導かれ守られながら。賑やかながらも優しい時間が過ぎていく。
「そうだ……リーシェ、こっちにおいで」
「何処へ行くの?」
向かう先は祭の中心部よりは離れた小高い丘である。
「ここからの眺め、なかなかいいだろ?」
「うん。祭の広場が一望できるわね」
「ああ。祭の空気を肌で感じるのもいいが……こうして見守るのも好きなんだ」
「お気に入りの場所なんだね」
「ああ」
そんな場所を紹介してもらえるなんて。2人の距離がまたぐっと縮まったような気がする。
※※※
――――2人の距離が縮まったと感じたその夜のことだった。
「リーシェ、今夜は夫婦用の寝室に来てくれ」
「……っ!」
「その、今は特に怪我もしてないし鉄臭くないはずだから」
「もしかしてその、それを気にして……?」
夏は遠征や討伐に忙しくしつついつも自室で寝ていた。元々契約結婚だからと思い私も夫人の部屋で寝ていたのだが。
「やっぱり、気になるだろう」
「そのっ、私は気にならないから」
「え……っ」
「フェルさまはフェルさまだから」
「……リーシェ」
「どんな時でもフェルさまの腕の中なら安心できるもの。昔から……ずっと」
あの温もりを教えてくれたのはフェルさまだから。
「あぁ……ありがとう、リーシェ」
フェルさまの腕が私を包む。今夜からこの腕の中で寝られるのだと思うと、自然と心が落ち着く。
「リーシェが俺の腕の中にいてくれるのがここまで嬉しいとはな」
「わ……私もっ」
「ああ、嬉しいよ」
フェルさまが優しく微笑む。優しく、温かな時間がここにある。
「さ、横になろう」
「うん」
遠征や小規模な討伐に出られても、その間の寂しさを紛らわせることができる気がしたのだ。
「冷える季節だからな」
そう言って掛け布団をかけてくれる。
「ありがとう」
「ふふっ。気にするな」
私はいつの間にか……フェルさまが隣にいることにこんなにも安心していたなんて。
瞳を閉じればフェルさまの吐息が聞こえてくる。緊張して眠れなかったらどうしようと今更ながら焦りそうで。
「お休み、リーシェ」
しかし優しく髪を撫でてくれるフェルさまのお陰で、良く眠れるような気がするのだ。
そうして安堵しながら、いつの間にか夢の世界に落ちていく。
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