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 マリエッテ・リウは赤毛で長身の女性で、私が最初に会った時、彼女は自分よりも背が高く厚みもある男性の胸ぐらを掴んでいるところだった。

 小惑星帯では宇宙に出るのは女性の方が圧倒的に多い。だから宇宙港近辺の飲食店に入ると客は女性ばかりというのもよくあることで、それを狙ってか、酒を出す店にやってきて口説こうとする男性が一定数いる。

 私は私のそばにさえ寄ってこなければそういう手合いも気にならないのだけれど、私とは心の出来が違うマリエッテは、自分の目に入る範囲で迷惑をかけている輩がいると火がつく質だ。

 同僚とカウンターで飲んでいたマリエッテが、テーブル席で女性の肩に手を掛けた男の元に近付いて、シャツの胸元を掴んで自分の方を向かせた。同じ店内にたまたまいた私が振り返って見たのは、そんな光景だった。

 いきなり胸ぐら掴むとかしてないよ。何度言ってもやめてくれないから仕方なく手を出しただけ……と、後日マリエッテからベッドの中で聞いたけれど、どちらにせよ問題は、彼女がまったく喧嘩慣れしていないことだった。

 自分の方を向かせて「嫌がっています。やめてください」と言ったはいいものの、冷笑されて手を払いのけられた後はなす術がなさそうだった。ただ、目に怯む様子がない。形のいい眉に力を入れて、退かずに男と対峙している。

 マリエッテのどこが気に入ったのかと聞かれると、私と違って真っ直ぐなあの時のマリエッテの全てなのだけれど、強いて言うならやっぱり目だったのだろう。背後で起きた騒ぎに、スツールに腰掛けたまま振り返っていた私は、その目を見た直後にはカウンターの内側に並んでいた酒瓶を取り、立ち上がる勢いそのままに、男目掛けて思い切り投げつけていた。

 マリエッテを殴りつけようとしたのか、振り上げられた男の拳に、回転しながら飛んだ酒瓶は勢いよく側面をぶつけ、見事に割れた。

 重力環境下での投擲があれほどうまくいったのは奇跡に近いと今でも思う。ただ、そんなことはまるで顔に出すことなく、舞い散るガラス片とアルコールに呆気に取られる男に、私は唇の端を上げてみせた。

「次は頭? それとも……?」

 酒瓶をもう一本手にしながら視線で示してやると、口にできないような言葉を撒き散らし、男は店を出て行った。私には分からないが、頭を狙われるよりも嫌な場所というのが男性にはあるらしい。

 絡まれていた女性から丁寧な礼の言葉を受け取った後、私はマリエッテと二人でカウンター席に移った。奢らせてほしいとマリエッテから言われ、ホワイトレディを一杯と彼女の連絡先を手に入れた。やっていることはさっきの男とさほど変わらない気もしたが、そこは与えた印象の違いだ。

 次にフリティラリア号を飛ばすまで一週間あったから、私はマリエッテを何度か食事に誘い、互いの趣味や仕事やもっとくだらないこと(たとえば靴下をどちらの足から履くかや、小学生の頃先生につけたあだ名)を話し、どうやらお互いがお互いにとってとびきり相性のいい特別な相手だということに気が付いた。

 私は小惑星帯を飛び回る貨物屋で、彼女は宇宙船を設計する技師だった。普通なら出会うはずもない相手だったのに、私たちはまるでひと組で作られた鍵と錠前のように噛み合った。

 仕事に発つ日になって、船に向かう私をマリエッテが涙をこらえながら呼び止め、そこで初めてのキスをした時、柄にもなく運命だと感じた。

 小惑星間の荷運びを繰り返して一ヶ月後に戻ってからは、マリエッテと同じベッドで眠るようになった。小惑星帯では同性同士の結婚は受理されない。だから私としてはこれがマリエッテとの間に結べる最上で最後の関係なのだと思っていた。

 ただ、マリエッテの方はそうは考えていなかった。

「ねえカンナ」

 互いの肌の感触に安らぎを覚えるようになって半年が過ぎた夜、マリエッテが私の名前を呼んだ。落ち着いているのに甘い声だ。彼女の白い肌と赤い髪が、私の褐色の腕の中に収まっていて、そのコントラストが綺麗だと考えていたのを覚えている。

 どうしたの? と返すと、マリエッテのエメラルドのような深い緑の瞳がこちらを向いて、そして一度唇を噛んだあと言ったのだ。

「私たちの赤ちゃんがほしい」



 思わず、冗談よね、と言いかけて止めたあの時の自分を、私は今でも誇りに思う。たぶんそれを口に出していたら、私たちの関係は終わっていたかもしれない。まあ、そうすればこうして何もない宇宙を漂うこともなかったわけで、どちらが幸福だったのかは、これからきっと分かる。

 私たちが子供を持つ方法は二つあった。残念なことに二十六世紀になっても人類は女性同士で自然に子供を授かるように進化はしていない。なので、どちらかの養子として子供を迎えるか、二人の遺伝子を乗せた受精卵を用意して育てることになる。

 マリエッテの希望はもちろん後者で、ただ、同性の結婚が認められない程度に近世の価値観を引きずっている小惑星帯では、施術を引き受けてくれる病院がなかった。

 そこで頼ったのが火星だった。

 私がフリティラリア号の母港として登録していてマリエッテが暮らすケレスは小惑星帯最大の都市で、火星まで最短で片道3ヶ月は必要な距離にある。マリエッテに出会ってからは主に小惑星帯の中で荷運びをしている私だけれど、フリティラリアは惑星間航行可能な船だ。マリエッテの凍結卵子を持って火星までの仕事を引き受け、火星で私の遺伝子を乗せた人工精子で受精させて、人工子宮装置に乗せて帰路に着く。受精卵自体は違法だけれど、貨物船業を営んでいれば、装置をこっそり持ち込む程度のことはわけない。

 計画では、受精後五ヶ月の胎児に育った赤ちゃんをマリエッテに会わせてあげられるはずだった。

 なのに事故が起こってしまった。

 私は今、自分の生命の心配はしていない。遅くても数日のうちにどこかに連絡はつくだろうし、そうすれば残りの燃料と相談して救助計画を立ててもらえるはずだ。

 ただ、この子はそうはいかない。

 事故が発生した以上、救助とともにあらゆる調査が行われる。それが人工子宮装置内のこの子の素性にまで及ぶ可能性は十分にある。

 まだ産まれていないこの子にどこまでの人権があるのか、私は知らない。

 だから私は一時間眠り、その間にたっぷりとマリエッテと愛し合う夢を見て、起きると同時に制御室へと向かった。

 


 後日の調査で確認された船内ログには、突然プライベートルームから飛び出した私が制御室に飛び込むやいなやメインコンピューターをシャットダウンしたことが記録されている。

 AIの支援と通信系統、船内のセンサー系統、航法システムが使用不能になった。これで宇宙のどこからも隔絶されていて、ただ、誰からも監視されない箱が出来上がった。それでも、生命維持システムと船外センサーおよびデブリ対応システムはメインコンピューターから独立して動く設計だから、生きていく分には問題ない。

 誰との会話もない、生命維持システムが水や空気や排泄物をリサイクルしていく過程で発生する振動をわずかに感じるだけの静かな九ヶ月を、私は一人で――いや、一人になろうと頑張っている我が子と一緒に過ごした。

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