3
「私が船内で産みました」
「父親は火星で出会った人です。その場限りの関係だったので名前も知りません」
「メインコンピューターのシャットダウンですか? あの時はひどく混乱していて……燃料を半分失って、妊娠が分かって、自分でも何を考えていたのか……」
「はい、この子が産まれてようやく正気に戻りました。この子を守らなきゃって思うと頭がクリアになって、そこでようやくコンピューターを再起動することを思いついて……」
「運が良かったんだと思います。ケレスの通信圏内ですぐに救難信号を拾ってもらえましたし」
「いえ、この子の命があるのも、私が帰ってこられたのも、本当にみなさんのおかげです。本当に、ありがとう……」
ケレス軌道上の船体スキャンのできる特別ポートにフリティラリア号を係留し、乗り込んできた航宙局と保険会社の調査員を前にして、私は頭に叩き込んでおいた台詞をスラスラと述べた。
もちろん最後に涙ぐんでみせることも忘れない。こんな顔をマリエッテに見られたら恥ずかしくて死んだ方がましと思うくらいに似合わないけれど、幸い目の前に知っている顔はいない。
彼女たちの目には、不慮の事故に遭ったあと、精神を苛まれながらも、お腹の赤ちゃんを守って懸命に生き延びた母親――という風に映っているはずだ。
これで赤ちゃんの遺伝子検査をなどと言い出すような人間がいたら、きっとそいつは地獄に堕ちる。実際、話の途中で疑わしそうな目を向けられる瞬間はあったのだけれど、私の腕の中ですやすやと眠る赤ちゃんの姿を見ると、皆一様に優しく温かい眼差しに変わった。
私の計画はうまくいった。
赤ちゃんが胎児の状態で人工子宮装置内にいるから疑いのもとになるのなら、産まれるまで待って、自分で産んだと主張すればいい。
そのためには、私が妊娠していなかった事実を示す船内ログが残っていると困る。だからメインコンピューターには眠ってもらう必要があった。
もうひとつ大きな証拠になる人工子宮装置については、元々正規のルートで持ち込んだものではないから、エアロックから放り出せばなかったことにできる。
正直、一番のハードルは、人工子宮装置から取り出した我が子を室内に置き去りにして、装置を船外投棄する時間だった。投棄する前に装置を分解している間も、隣で泣く赤ちゃんに申し訳なかったのだけれど、バラバラにした部品をエアロックに運び込み、ソフトスーツでEVAしている間はかつて経験したことのない恐怖で心臓が握りしめられていた。
なにせ私がうっかり手を滑らせて宇宙に放り出されるようなことがあれば、残されたあの子はそのまま死ぬしかないのだ。
焦りを押し殺しながら、初EVA以来の慎重さで作業を終わらせて船内に戻った私は、泣き疲れて眠ってしまった赤ちゃんを胸に抱いた。
多分その時、私は親になったのだと思う。
それから今まで、私は片時もこの子のそばを離れたことはない。
調査員たちは予定よりも随分早い時間で聞き取りを終えると、船体スキャンの結果とログを持って帰っていった。多分一週間もすれば燃料タンクを新調し、船体をオーバーホールできるだけの保険金が振り込まれるはずだ。
とりあえずそのお金を期待して、この子に服やベビーベッドやおもちゃを買ってあげよう。それに、随分心配をかけただろうマリエッテにも、欲しがっていたエメラルドの入ったネックレスを贈ろうか。
そんなことを考えながら、到着ゲートを潜って宇宙港ロビーに出る。小惑星帯最大の宇宙港は人でごった返していて、九ヶ月間動くものを見てこなかった私には刺激が強すぎて目眩がした。それでも、あとは軌道エレベーターで降下すれば、マリエッテの待っているケレスシティだと自分に言い聞かせて、赤ちゃんを抱く腕に力を入れる。
その時、後ろから声が聞こえた。
「カンナ!」
振り返ると、マリエッテの長身の上で、赤い髪が揺れていた。一年ぶりに見る彼女の髪は少し伸びていて、でも、まっすぐな緑の瞳は変わらず輝いている。
正直に告白しよう。何も言わずに九ヶ月も行方をくらませたのだ。普通は死んでいると思うだろうし、マリエッテも待っていてくれないんじゃないかと一度だけ……いや、数回は考えた。何せ九ヶ月あったのだ。もっと悪い想像だってする。
だけど、その目を見て、全部吹き飛んだ。
信じて待っていてくれたことが、私には分かる。
人をかき分けるようにマリエッテが近付いてくる。私の足はといえば、情けないことにその場から一ミリも動けないままだった。ほんの少し指先を動かしただけでも、涙腺が決壊しそうだったのだ。
マリエッテはあと半歩の距離で止まって両手を伸ばし、赤ちゃんごと私をそっと抱いた。
「おかえり、カンナ。よく頑張ったね。ふたりが帰ってきてくれて、私は嬉しいよ」
耳元で懐かしい甘い声が響いて、もう無理だった。涙が溢れてくる。マリエッテに見せられない顔をして、ただ抱かれているのが悔しい。
「なんでマリエッテは泣かないのよ」
「私はカンナの恋人だからカンナの行動力を信じてたし、船の技術屋だからあなたのフリティラリア号のことも信じてたし、母親だからこの子を信じてた」
「なによそれ」
私の揺れた声が伝わって、暖かい手が背中を撫でてくれる。マリエッテの手と、腕に抱いた赤ちゃんに挟まれて、胸が温まって、やがて涙が引いていく。
「本当はちょっとだけ不安だったよ。でも、もう帰ってこられないんだったら、カンナはきっとどうやっても私に報せてくれる。だから、報せがないってことは生きているってことで、生きているのに連絡がないんだから、きっとこの子のことで連絡が取れなかった――でしょう?」
周りに人が多過ぎて、私は何も話せない。だからひとつだけ頷いて、そっと身体を離した。
「ほら、マリエッテだよ。あんたのもうひとりのママ」
腕の中で眠っていた赤ちゃんはその声に驚いたのか、私と同じ褐色の頬をむにゃむにゃと動かし、やがて一度大きくあくびをした。
そしてゆっくりと目を開ける。
長くやわらかそうなまつ毛に縁どられて、私の愛するエメラルドの瞳が、そこにもあった。
顔を上げると、マリエッテの視線が吸い込まれるように赤ちゃんの顔に落ちていた。
Y染色体を持っていないふたりの子供だから、当然この子も女の子だ。
髪と肌の色や輪郭は私に似て、目は形も色もマリエッテで、耳も彼女に似ていると思う。大きくなったら、マリエッテみたいにすらりとした長身で、私みたいに星の間を駆け巡るような大人になってほしい。
マリエッテの滑らかな白い頬を、透明な涙が伝っていった。
私はゆっくりと息を吸う。
「ただいま、マリエッテ」
太陽系で一番大切な人の名前を呼んで、そして私は大事なことを思い出す。
そうだ。まずはふたりで、この子に名前を贈らなくちゃ。
星の狭間のゆりかごで 千切絵はさみ @chigirie833
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます