星の狭間のゆりかごで

千切絵はさみ

1

「嘘でしょ。タンク丸々いっちゃってるじゃない」

 宇宙船外活動E V A用のソフトスーツ姿で、側面が派手に破れた燃料タンクを眺め、私は大きくため息をついた。ヘルメットに内蔵されたマイクがそれを拾って記録してくれているから、無事に帰りついたら、船体ログと一緒に保険会社に送ろうと心に決める。精神的な損害も含めて請求しなくちゃ、とてもじゃないけどやっていられない。

 くすんだグレーの船体に取り付けられた同色の燃料タンクは二本。その内の一本が、真ん中あたりに大穴を開けてひしゃげている。タンク内面と外装の間の構造材が露出して、背景の宇宙に突き立つようだった。

「これ……私、もしかして帰れないんじゃ……?」

 絶望しているように聞こえるといいなと思いながら台詞を追加し、私は、船体から突き出た持ち手をしっかりと両手で握って、周囲を確認する。

 上下左右前後、全ての方向に星が見える。

 私の貨物船フリティラリア号のお得意様である火星も、愛すべき故郷である小惑星帯アステロイドベルトも、今はどこにあるか分からない。

 噴き出した燃料や吹き飛ばされたタンクの破片はきれいに接線方向に飛んでいったようで、宇宙空間で揮発した燃料の残滓だけがもやのように漂い、星の光を薄く遮っている。ただこれも船体とはわずかにベクトルが違っていて、やがて離れていくはずだ。

 私は、命綱の金具を船体表面に並ぶジョイントに引っ掛けながら、慎重に破損状況を確認していった。タンク自体はもう使い物にならない様子で、ただ幸いなことに、船体には目に見えるようなダメージはなかった。タンクと船体の接合部には大きな衝撃が加わったはずだったけれど、ボルトの緩みや破断はない。惑星間宇宙船は意外と頑丈なのだ。

 突然の燃料タンクの破損から一時間が経っていた。

 原因はおそらく隕石の衝突だ。センサーからの警告はなかったから、小石ほどの大きさだったはずで、そのサイズだと普通はタンク表面で弾かれて被害が出ることは滅多にない。今回は衝突角度や相対速度がよほど悪かったのだろう。それがタンクに小さな穴をあけ、内圧により噴き出した燃料が少しずつ穴を広げていって、圧力が閾値を越えた時点で一気にタンクが破裂した――と、船のAIは推測している。

 タンク自体を除けば、被害は、タンクの破裂に伴う急激な回転が生み出した遠心力のせいで、私がしばらく昏倒した程度だった。

 ペイロードに積み込んだ貨物の大半は火星の医療機器や医薬品で、厳重な梱包がされている。コンテナの自己診断ステータスを信じる限りでは、内部に影響があるほどの衝撃は検出されていない。

 コンピューターは生きている。閉鎖生態系生命維持システムC E L L Sがあるから空気や水や(味はともかく)栄養に困ることはない。航法装置も通信機器も使える。

 問題は燃料がタンク一本以下となり、かつ、大きく航路を逸れてしまったことだ。空気抵抗がないから、一度加速した宇宙船はどこまでも慣性に従って進み、星の重力に引かれるか、燃料を使わない限り方向転換も減速もできない。

 火星と小惑星帯の間に横たわる一億キロメートルの間隙の中で、私は一人で浮いている。



 人類が月に初めてのコロニーを造った時、入植者は厳密に男女同数だった。

 まあ実際のところいくらかの誤差はあったかもしれないけれど、教科書にはそう書かれている。

 これについては、ざっくりここ二千年ほどの歴史を振り返ってみても、概ね男性の方が賢明でない例が多いのだから、いっそ女性だけで月に行ってはどうかという意見もあった。しかしそれでは人口が増えないじゃないかというしごく現実的な意見で退けられたらしい。

 閉鎖生態系生命維持どこでもいきていけるシステムを手にした以上、古の教典で神様が言ったように、産めよ、増えよ、地に満ちよ、というわけだ。

 その方針は、その後の火星でも踏襲されて、もちろん我らが小惑星帯でも、続く木星圏入殖でも変わらなかった。

 ただ、小惑星帯が他と違ったのは、そこが人類の養殖場ではなく、火星軌道の外側に広がる巨大な資源採掘場であって、一方で、一つの小惑星に居住できる人数には物理的な限界があるということだった。

 生きるためには採掘を止めるわけにはいかないから、限られた人数で掘り続けるために、妊娠出産を経た女性が採掘から弾き出されていった。当時も、母体に頼らず人工子宮で受精卵を新生児まで育て切る技術は実用化されていたものの、高価で、かつ、多くの人にとって心情的に納得できるものではなかったらしい。

 結果、古式に従い男女同数で入植したはずの人類は、小惑星帯全体ではバランスしつつ、局所的に見ると著しい性別の不均衡を生むことになった。すなわち、男性は地下に、女性は地上と宇宙に、だ。

 そういうわけだから、昔の神様が口にした戯言のせいで私は今、ひとりで宇宙を漂う羽目になっている。



「ハロー。こちら貨物船フリティラリア。登録ナンバーODNM83659261。船長カンナ・ハルパドッティル。誰か聞こえますか――」

 特に返事を期待しているわけではないとはいえ、最低でも十二時間(もちろん地球時だ。人類はかの惑星のくびきから逃れられていない)に一度の肉声での発信が遭難時の標準プロトコルだ。

 多分元々は生存確認のための規則だったのだろうけど、それとは別に自動発信している救難信号には船内センサーのステータスまで含まれているので、はっきり言って時間と電力の無駄だ。ただ、手を抜いて後々保険がおりない事態にでもなれば目も当てられないので、とりあえず呼びかける。

 残念なことに、超高速航法どころか亜光速航法の足元にすらたどり着いていない人類は、もちろん超光速通信を発明していない。したがって、私の声は秒速三十万キロメートルの壁に阻まれて、誰かに届いて返事が来るまで少なくとも十五分は待たないといけない。さらに、貨物船とはいえ、一人で運用するような船に積まれた通信機で通信が可能な範囲に受信機器があるのかという問題もある。

 スクリーンに航法関連のウィンドウを表示させて、現状のまま慣性に任せた場合の予想ルートを描画させる。電波を発信してくれる惑星も衛星も近傍になくて正確な位置が把握できておらず、さらに事故発生時のログから取得した加速度データからの概算ではあるものの、幸いなことに黄道面からは外れていないらしい。ただ、軌道が内側に寄っており、目的地であるケレス近傍で残り燃料による減速を行うとしておおよそ九ヶ月の旅程だった。少しでも早く帰り着くためには、早目に公的機関と連絡を取って、軌道修正に必要なパラメーターを確定させる必要がある。

 通信の監視はAIに任せ、一畳――かつて地球のどこかで使われていたという草を編んだカーペットの大きさを基準とした単位、らしい――しかない制御室から出た。

 宇宙船の、特に貨物船の設計は、人が増えることを蛇蝎のように嫌う。人が増えれば空気も水も食料も余分に積まなければならないし、生命維持システムへの負荷も倍々になって増えていく。一方で居住スペースに単に空気を積むだけなら意外と気前がいい。空きスペースは乗員の心の余裕を生むし、いざという時に生存確率を上げるからだ。

 そういうわけで十二畳を確保したプライベートルームに入ると、私はベッドに腰を落ち着ける。居住区画は回転による擬似重力を確保しているのだ。

 私の目の前には、縦横が片腕ほどの長さの箱が置いてある。側面は銀色の鈍い光沢がある金属塗装、ベッドと同じ高さにある天面は、鏡面仕上げの一枚板の上にガラスが重ねられている。私が座ったまま視線を向けると、鏡面のわずか上に浮かび上がるように文字が現れる。

 内容に意識を向ける前に、並んだ文字が全て緑と白で構成されていることを見てとって、ひとまず息をついた。

 緑は順調。もし黄色や赤なら、注意もしくは警告だ。

 温度37℃。

 気圧101kPa。

 それは箱の中の状況を示す数値だった。この二つが大きく振れていなければ大丈夫だと、火星で医師からは聞いていた。だからその後に続く数字をざっと読み飛ばして、最後の行に目を留める。

「0.7mm」

 私の唇が自然とカーブする。0.1mm成長している。

 目の前の箱の中に収められた、いまだコーンの一粒よりも小さなそれが、私の――私とマリエッテの間にできた赤ちゃんだった。

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