5
駅までの道を、一人で歩いた。
十二月の夜だった。さっきも思ったはずなのに、また思った。空気が冷たい。息が白い。足音だけが響いて、他に何も聞こえなかった。
送別会は終わった。
終わった、と頭の中で繰り返した。言葉にすると、本当に終わった気がした。言葉にしなければ、まだ続いていたかもしれない。でも、私は言葉にした。
だから、終わった。
駅に着いた。
改札を抜けて、ホームに上がった。電車は三分後だった。ホームには数人しかいなかった。金曜の夜なのに、静かだった。
電車を待ちながら、さっきのことを考えた。
先輩が振り返った瞬間。
私が手を挙げなかった瞬間。
あのとき、何か言えばよかったのだと思った。思ったけれど、何を言えばよかったのか、わからなかった。
「お元気で」は違う。
「また会いましょう」も違う。
「寂しくなります」は、もっと違う。
言いたかったのは、そういうことじゃなかった。
でも、それが何だったのか、今でもわからない。
電車が来た。
乗り込んで、空いている席に座った。ドアが閉まって、電車が動き出した。窓の外を、暗い景色が流れていった。
車内は暖かかった。送別会の居酒屋より暖かかった。でも、体の奥のほうに、冷たいものが残っていた。
手のひらを見た。
さっきの拍手の熱は、もう消えていた。代わりに、何もない感じがあった。叩いたはずなのに、叩いた感触が残っていなかった。
音は、消えるものだと思った。
乾杯の音も、拍手の音も、先輩の声も、全部消えた。空気を揺らして、届いて、消えた。
でも、消えたあとに、何かが残っていた。
形のないもの。名前のないもの。私の中の、何かが変わったという感覚だけ。
電車が駅に止まった。私の降りる駅ではなかった。ドアが開いて、何人か降りて、何人か乗ってきた。ドアが閉まって、また動き出した。
窓に自分の顔が映っていた。
見慣れた顔だった。何も変わっていないように見えた。でも、何かが違う気がした。送別会の前と後で、同じ顔なのに、別の顔になっている気がした。
わからなかった。何が変わったのか。どこが違うのか。
わからないまま、電車は走り続けた。
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