第6話 「若者に説教したらボスが湧きました」


「いやー、今日の俺たち、完璧じゃない?」


ユウトが両手を広げ、得意げに言った。

確かに、この階層に入ってからの進行は順調だった。

罠は回避し、魔物も最小限の戦闘で処理している。


だが――。


「調子に乗ると、だいたい碌なことになりません」


久我恒一は、通路の壁に手をつきながら、淡々と告げた。


「え、課長また始まった」

ユウトが苦笑する。


「始まってはいません」

恒一は真顔だ。

「“起こりうる問題の事前共有”です」


「それ、説教ですよ」

マキオが小声で言った。


ミサは何も言わないが、視線は前方警戒を怠っていない。


恒一は続けた。


「若い頃というのは、成功体験が少し続くだけで――」


その瞬間だった。


 ズン…… 


床が、はっきりと揺れた。


「……課長」

ユウトが声をひそめる。

「今、なんか――」


 ズズズズ…… 


揺れが、強くなる。

通路の奥、今まで見えなかった巨大な扉が、ゆっくりと開いた。


「ボス部屋……」

マキオが呟く。


「タイミング、最悪」

ミサが短く言った。


恒一は、口を閉じた。

説教は、どうやらフラグだったらしい。


扉の向こうから現れたのは、

全身を黒い外殻に覆われた巨大な魔物。

昆虫と獣を無理やり合わせたような姿だ。


「初見ですね」

マキオが喉を鳴らす。


「……逃げる?」

ユウトが、珍しく弱気な声を出した。


恒一は、魔物の動きを観察した。

脚の配置、重心、呼吸の間。


「すぐには来ません」

恒一は言った。

「こちらを見ています」


「じゃあ、今のうちに叩く?」

ユウトが前に出かける。


「待ってください」


恒一は、はっきりと言った。


「説教の続きです」


「今!?」

ユウトとマキオが同時に叫んだ。


「今です」

恒一は落ち着いている。

「この状況で突っ込む理由を、説明できますか?」


「……勢い?」


「それが問題です」


魔物は、こちらを警戒するように低く鳴いた。

だが、まだ距離はある。


【スキル《会議進行》が発動しました】


「議題」

恒一の声が、場を締める。

「このボスと、どう向き合うか」


「……戦うか、撤退か」

マキオが言う。


「第三の選択肢は?」

恒一が促す。


ミサが、ぽつりと口を開いた。


「……様子見」


恒一はうなずいた。


「正解です。

 若いと、“今やらなければ”と思いがちですが、

 今やらない判断も、立派な選択です」


ユウトが歯を噛む。


「でも、逃げたら……」


「逃げではありません」

恒一は静かに言った。

「“今日はここまで”という決定です」


その言葉と同時に、

魔物が一歩、前に出た。


「……来ます」

マキオが構える。


「撤退準備」

恒一は即座に指示した。

「後ろを向かず、距離を取る」


三人は、素直に従った。


魔物は追ってきたが、一定距離を越えると足を止めた。


「……助かった」

ユウトが息を吐く。


安全圏まで戻ったところで、

恒一は一度だけ、咳払いをした。


「説教は、ここまでにします」


「お願いします」

ユウトが即答した。


「ですが、一つだけ」


恒一は、三人の顔を見た。


「若さは武器です。

 ただし、振り回すと味方を傷つけます」


少しの沈黙。


「……課長」

ユウトが言う。

「俺、さっき突っ込もうとしてました」


「知っています」


「止めてくれて、ありがとうございます」


恒一は、小さくうなずいた。


「では、今日は撤収です」

「次は、準備を整えてから来ましょう」


三人は、異論を唱えなかった。


ダンジョンの奥で、

ボスは静かに扉の向こうへ戻っていく。


――説教をすると、ボスが湧く。

――だが、説教を聞かなければ、命が湧かない。


恒一は、そう心の中でまとめた。


「課長」

ユウトが笑う。

「次から説教、短めでお願いします」


「善処します」


定年オヤジの“会議”は、

今日もダンジョンを無事に終わらせていた。


(第6話・完)

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