第4話 「課長、その判断は神ですと言われました」
「……ちょっと、静かに」
久我恒一は、自然と声を低くした。
前方の通路が、妙に開けている。
天井は高く、柱もない。
床は滑らかで、石畳の継ぎ目がやけに整いすぎている。
――これは、嫌な感じだ。
「何もいないですね」
マキオが周囲を見回す。
「ボーナス部屋じゃない?」
ユウトが軽い調子で言った。
「違う」
ミサが短く否定する。
「音が、ない」
確かに。
風の音も、水滴の音もない。
恒一は、一歩も踏み出さずに言った。
「全員、止まりましょう」
「え?」
ユウトが振り返る。
「せっかく広いのに?」
「こういう場所は、罠か、強敵か、その両方です」
恒一は静かに続けた。
「少なくとも、勢いで入る場所ではありません」
ユウトは不満そうに口を尖らせたが、立ち止まった。
その瞬間だった。
床の中央が、 ズズ…… と沈んだ。
「うわっ!」
もし、もう二歩前に出ていたら。
そう考えるだけで、背筋が寒くなる。
沈んだ床の奥から、重い音が響く。
何かが、目覚める音だ。
「……トラップ連動型ですね」
マキオが息を呑む。
床の奥から現れたのは、
鎧をまとった巨大な人型の魔物だった。
「ゴーレム……」
ミサが呟く。
「勝てます?」
ユウトが恒一を見る。
恒一は、首を横に振った。
「今の装備では、厳しいでしょう」
「でも、ここを通らないと先に進めないですよ?」
「ええ。ですが――」
恒一は一拍置いた。
「今日は、進む日ではありません」
三人が固まった。
「撤退、ですか?」
マキオが確認する。
「はい」
恒一は、はっきりとうなずいた。
「情報不足、戦力不足。
この条件で突っ込むのは、無謀です」
ユウトが歯噛みする。
「でも、ここまで来たのに……」
恒一は、少しだけ声を和らげた。
「ここまで来たからこそ、帰れるんです」
その言葉に、ユウトは黙った。
ゴーレムは、こちらをじっと見ている。
だが、距離を詰めてはこない。
「向こうも、追撃条件があるはずです」
恒一は続けた。
「撤退は、逃げではありません。
次に勝つための準備です」
ステータス画面が淡く光る。
【スキル《責任回避(中)》が発動しました】
「……あれ?」
マキオが目を瞬かせる。
「なぜか“戻ろう”って選択が、すごく正しく感じる」
「それが、この人の怖いところ」
ミサが小さく言った。
四人は、ゆっくりと来た道を戻った。
ゴーレムは、それ以上近づいてこなかった。
安全圏まで戻ったところで、
ユウトが深く息を吐いた。
「……正直、突っ込もうとしてました」
「わかります」
恒一はうなずいた。
「私も若い頃は、何度もやりました」
「でも」
ユウトが顔を上げる。
「さっきの判断……
もし課長がいなかったら、誰か死んでたかも」
マキオが続けた。
「いや、マジで。
あれ、神判断ですよ」
「神は大げさです」
恒一は苦笑した。
「私はただ、失敗事例を山ほど知っているだけです」
「それが強いんですよ」
ミサがぽつりと言った。
「経験値」
その言葉に、恒一は少しだけ胸が熱くなった。
――長年積み上げたものが、
――こんな形で役に立つとは。
そのとき、通路の奥から別のパーティが現れた。
先ほどの広間へ、勢いよく突っ込んでいく。
「……止めなくていいんですか?」
ユウトが小声で聞いた。
恒一は、首を横に振った。
「自分で選んだ判断には、
自分で向き合うしかありません」
遠くで、金属音と悲鳴が響いた。
ユウトが顔をしかめる。
「ダンジョン、怖え……」
「ええ」
恒一は静かに言った。
「だからこそ、判断が大切です」
三人は、黙ってうなずいた。
その視線が、自然と恒一に集まる。
「……では」
恒一はネクタイを整えた。
「次は、補給と情報収集です。
神判断の続きといきましょう」
ユウトが笑った。
「課長、もう完全にリーダーじゃないですか」
恒一は肩をすくめる。
「いえ。
責任を取らない範囲で、まとめているだけです」
三人が声を上げて笑った。
ダンジョンの中で、
久我恒一は確かに理解され始めていた。
戦わない判断こそが、
ときに一番の“強さ”になるのだと。
(第4話・完)
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