第2話 「ステータス画面に『元・総務課長』と表示された件」
「……ダンジョン、ですか」
久我恒一は、もう一度だけ確認するようにその言葉を口にした。
三人の若者は、そろってうなずく。
「はい。正式名称は《東京湾岸地下迷宮・アンダーベイ》です」
「初心者向けの浅層なんで、そこまで危険じゃないですけど」
そう言いながら、赤い髪の青年が肩をすくめた。
危険じゃない、という割には、全員しっかり武器を構えている。
恒一は、胸の前に浮かんでいる半透明の板――ステータス画面を、まじまじと見つめた。
【職業:元・総務部課長(定年)】
「……訂正はできないんですか、これ」
「できませんね」
即答だった。
「職業は人生そのものですから」
眼鏡の青年が、妙にもっともらしいことを言う。
恒一は小さく咳払いをした。
「では、この“元”というのは、強調する必要があるのでしょうか」
「そこが味です」
今度は、無口そうだった女性が答えた。
味、らしい。
恒一はため息をつき、改めてスキル欄に目を向ける。
・根回し
・会議進行
・責任回避(中)
「……攻撃系のスキルが、一つもありませんね」
「ですよね!」
赤髪の青年が笑った。
「完全にハズレ職――」
言い終わる前に、遠くから金属が擦れるような音が響いた。
「っ、来る!」
眼鏡の青年が叫ぶ。
曲がり角の奥から、二足歩行のトカゲのような魔物が現れた。
「リザード系です! いきます!」
若者たちは、勢いよく前に出た。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
恒一の声は、完全に無視された。
剣が振られ、魔法が飛ぶ。
だが連携はなく、動きもバラバラだ。
――これはまずい。
恒一の頭が、自然と回り始める。
「前衛が二人、後衛が一人。
役割が被っています!」
思わず声が出た。
「今はいいから!」
赤髪の青年が叫ぶ。
だが次の瞬間、魔物が大きく跳ね、全員が後退した。
「一度、下がりましょう!」
恒一は、はっきりとした声で言った。
「今は情報不足です。
攻撃パターンを確認してから、再開してください」
不思議なことに、その声は通った。
若者たちは、反射的に距離を取る。
魔物は、警戒するように低く唸るだけで、追ってこなかった。
「……今の、なんですか?」
眼鏡の青年が聞いた。
「会議進行、です」
恒一は真顔で答えた。
「議題を整理し、全員の動きを止めただけです」
ステータス画面が、淡く光った。
【スキル《会議進行》が発動しました】
「スキル名、そのまんまじゃないですか……」
女性が呆然と呟く。
恒一は続けた。
「では、改めて状況確認を。
この魔物は突進型。無闇に囲むと危険です。
前衛は一人で十分」
「……じゃあ、俺が前に」
赤髪の青年が言う。
「無理はしないでください。
撤退判断は、私が出します」
「それ、命令ですか?」
「提案です」
その瞬間、ステータスがまた反応した。
【スキル《根回し》が発動しました】
「……なんか、納得しちゃった」
若者たちは、苦笑しながら配置につく。
数分後。
魔物は無事に倒され、誰一人傷ついていなかった。
「……あれ?」
赤髪の青年が剣を下ろす。
「俺たち、初めてノーダメだ」
「効率、段違いですね」
眼鏡の青年が感心したように言う。
恒一は静かにうなずいた。
「当たり前のことを、当たり前にやっただけです」
三人は顔を見合わせ、そして――
「課長」
と、呼んだ。
「いえ、私はもう――」
「いや、課長でいいです」
全員一致だった。
恒一は、少しだけ困ったように笑った。
――どうやらこの世界では、
“元・総務課長”という肩書きは、
思った以上に使えるらしい。
遠くで、また別の足音が響く。
恒一はネクタイを締め直し、言った。
「では次の議題に入りましょう。
次の敵への対応策です」
若者たちは、自然と円になった。
ダンジョンの地下。
そこに、奇妙な会議室が生まれていた。
(第2話・完)
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