第2話 雷光のストロボ・ウォー
天は、織田に味方したのか、それとも見放したのか。
桶狭間へと向かう山道は、バケツをひっくり返したような豪雨に見舞われていた。
叩きつける雨粒が視界を奪い、足元のぬかるみが体力を奪う。だが、織田軍の将兵たちは必死に主君の背中を追っていた。「奇襲には絶好の天候だ」と、誰もが士気を高めていたからだ。
しかし、先頭を駆ける総大将・織田信長の心境は、彼らとは真逆の「絶望」にあった。
「ええい、クソッ! 消えるな! 消えるでないわ!」
馬上の信長は、風雨にさらされて消えかかる松明(たいまつ)を必死にかばっていた。
ずぶ濡れになりながら火種を守ろうとするその姿に、側近たちは涙した。「殿は、我らの道を示す灯りを、御身を呈して守ろうとしておられる……!」と。
無論、誤解である。
「火が消えたら、オレ(影)が見えなくなるではないか! これでは通信途絶だ! おいオレ、聞こえるか!?」
『……ザザ……大将……聞こ……え……』
「くそっ、ノイズがひどい! 光源ロスト! これでは軍議ができん!」
信長はパニックに陥っていた。
影との会話には、影を投影するための「光」が必要不可欠だ。この暗闇と豪雨の中では、頼みの綱である「影の軍師」の姿は溶け出し、その声も遠いラジオのように途切れがちになっていた。
『……帰……る……』
「なんだと!? 帰るだと!? 敵前逃亡か貴様!」
『……ちげ……風邪ひく……っつって……んだ……』
「ええい、音声が不明瞭だ! 誰か! 誰か予備の松明を持ってこい! LEDランタンはないのか!」
「殿? えるいーでぃ、とは何でございましょう?」
家臣との会話も噛み合わないまま、織田軍は今川義元の本陣、田楽狭間(でんがくはざま)へと到着してしまった。
*
そこは、死の静寂と、雨音だけが支配する空間だった。
崖下には、休息をとる今川軍二万五千。だが、この悪天候で彼らの焚き火も大半が消えており、あたりは漆黒の闇に包まれている。
信長は絶望の淵に立っていた。
「終わった……。これほどの闇では、オレ(影)は完全に沈黙する。作戦指示も受けられん。ワレ一人でどう戦えというのだ」
信長は、影なしではただの「照明マニアのうつけ」である。
刀の柄に手をかけ、震える信長。
だがその時、天が裂けた。
――カッ!!
凄まじい閃光が、世界を白く染め上げた。落雷である。
その瞬間、信長の足元に、インクをぶちまけたように濃く、鋭い「黒い影」が焼き付けられた。
『今だ大将!!』
クリアになった視界と共に、影の怒号が脳内に響く。
『右前方、距離三百! 朱塗りの輿(こし)が見えたか!? あれが義元の本陣だ!』
「見えた! 見えたぞオレ!」
『次の雷(フラッシュ)が来るまで十秒だ! それまでに距離を詰めろ! 走れ!』
信長は狂喜した。
「なんと素晴らしい光量だ! 自然界のストロボライトか! これならいける!」
信長は馬腹を蹴り、崖を駆け下りた。
「掛かれぇぇぇ! 天はワレに『最高の照明』を与えたり!!」
織田軍数千が、雪崩のごとく今川本陣へ突入する。
戦場は混沌を極めた。
暗闇の中で刃が交錯する。だが、信長だけには「視えて」いた。
――ピカッ!(雷光)
一瞬の閃光。地面に伸びた影が、敵の配置を指差すように変形する。
『左だ! 槍が来るぞ!』
信長は反射的に身をひねり、突き出された槍を回避すると、その隙に敵兵を斬り伏せた。
――暗転。
再びの闇。信長は気配を殺して移動する。
「次はどこだ、オレ!」
「あと三秒待て! ……今だ!」
――ピカッ!(雷光)
『正面! 義元の首を守る旗本だ! 胴を薙げ!』
「承知!」
点滅する世界。
ストロボ効果によってコマ送りのように映し出される戦場で、信長と影は完璧なシンクロを見せた。
側から見れば、信長は暗闇の中で予知能力でも発揮しているかのように、正確無比に敵の急所を突いていた。
「化け物か……!」
今川の兵たちが恐れおののく。
魔王のごとき形相で迫る信長。だが彼は、斬り合いの最中もブツブツと独り言を呟いていた。
「いいぞ……この色温度、6000ケルビンはあるな……肌が白く見える……」
『解説してねぇで首を取れ! 光が止んだら俺たち終わりなんだぞ!』
そして、運命の瞬間が訪れる。
ひときわ大きな雷鳴と共に、特大の稲妻が直下した。
――ドォォォォン!!
強烈なバックライトを背負い、義元の輿の前に信長が躍り出る。
逆光で真っ黒なシルエットとなった信長は、まさしく「影そのもの」であった。
『やれ、信長!!』
「チェストォォォォ!!」
一閃。
今川義元の首が、雷光の中に舞った。
*
雨が上がり、雲の切れ間から月が顔を出した頃。
戦場には、織田軍の勝鬨(かちどき)が響き渡っていた。
奇跡の大勝利である。
家臣たちは泥だらけになりながら、主君の武功を讃えた。
「殿! 見事な采配でした! あの雷鳴の中、迷うことなく敵将のもとへ突き進むお姿、まさに軍神!」
しかし、信長は浮かない顔で空を見上げていた。
まだ遠くの空で、微かに光る稲妻を目で追っている。
「……なぁ、オレよ」
信長は小声で足元に話しかけた。月明かりの下、影は薄く、頼りなげに伸びている。
『なんだよ。疲れたからもう寝たいんだけど』
「あの雷(カミナリ)というやつだが……なんとかして瓶詰めにできんか?」
『は?』
「あれを城に持ち帰れば、夜でもお前と高画質で話せるではないか。どこかに雷を貯めておく壺はないのか?」
影は呆れ果てて、ぐにゃりと歪んだ。
『無理に決まってんだろ。お前はベンジャミン・フランクリンか』
「ベンジャ……? どこの大名だ、それは」
『未来の雷オタクだよ。……まあいい。とにかく勝ったんだ。これで少しはマシな灯りを買えるだろ』
「そうだな! よし、帰ったら直ちに最高級の油を買い占めるぞ! 目指すは天下布武――天下に(照明器具を)敷く、だ!」
『……漢字、間違ってるぞ』
こうして、照明オタクと影法師の、天下への爆走が始まったのである。
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