第2話 ご自宅

 お屋敷、というと豪奢な洋館を思い浮かべてしまいそうなものではありますが、坂道を少し登った先にある洋三郎ようざぶろうさんのご自宅は、決してそういったものではなくて、門番や衛兵が立ちそうな入り口の扉も、外に張り出したバルコニーも備えてはおりません。建物の中にもダンスフロアや螺旋階段、私設の礼拝室なんてものも御座いません。何せ、地方の町ならどこにでもありそうな古びた二階建ての日本建築なのですから。ああ、一階の一室にはアップライト型の家庭用ピアノが有ったように記憶しておりますが、洋三郎ようざぶろうさんがそれを弾くところは見た事、聴いた事がありません。あのお体ですし、もとよりご自身が弾く為の物ではなかったのかとも考えられますが。ようは、日本ならば住宅街に目立たず並んで景色の一部となっているような二階建ての家屋が、坂道の上に建ってるというだけなのですから。それでも、門のあった所から建物までに歩く距離にせよ、庭というべき形を取っているかは見る人によるのでしょうが建物の周り一帯を敷地としてもつ土地の広さにせよ、都市部に暮らすかたからしてみれば、お屋敷、と呼ぶのにもおかしな所は無いと思われます。


 建物の扉の前に私が立つと、見計らったように洋三郎ようざぶろうさん御自身がその扉を開いて、

「やあ。雨の中、約束通りに訪ねて来てくれてありがとう。まあ入りたまえよ」

 と気さくな笑みを浮かべて出迎えて下さいました。顔の皺こそ深くありながら、腰の伸びた洋三郎ようざぶろうさんの姿は、部屋着とも見えますが皺の無いシャツと折り目に緩みの無いズボン姿で、常と変わらず気のくだけた身なりの中にも規則正しい生活を感じさせるものでした。シャツの左は肩から袖までの布をひらりと舞わせておられますが、失った左腕に違和を感じさせないのは左右で均整の取れた肩の高さと澱みの無い歩みから成る自然な所作しょさがそう見せるのでしょう。腰も曲がり始めて、足にもぎこちなさの出る事が増えた私とは大違いです。

 そのまま客間へと案内されて、テーブルを挟んで向かいあわせに置かれた椅子の一方を引いて勧められ、

「お茶と珈琲コーヒー、どちらが宜しかったでしょうかね。紅茶も有りますが」

 と気を遣って頂き、かねてより洋三郎ようざぶろうさんが好んでおられる珈琲コーヒーを所望して、では一寸ちょっと、と洋三郎ようざぶろうさんが台所に向かう背を眺め、それから客間の壁をぐるりと眺めてから視線を目の前に留めてお湯の沸く音、カップの立てる磁器の鳴り、それから漂って来る香ばしい香りをゆっくりと感じ取り、洋三郎ようざぶろうさんが戻るのを待たせて頂きました。

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