第6話 迷宮の深淵
氷晶の迷宮は、深くなるほど静かになる。
音が消えるのではない。
最初から、存在しなかったかのように感じられるのだ。
リオハは、壁に手をつきながら歩いていた。
肩の傷は塞がっているが、完全ではない。
氷の精霊が示した道は、優しさとは程遠かった。
「……深いな」
視界は蒼く濁り、距離感が曖昧になる。
足を踏み出すたび、床がわずかに沈む感覚があった。
ノアが低く唸る。
――下に、いる。
問い返す前に、床が崩れた。
浮遊感。
次の瞬間、背中から叩きつけられるような衝撃。
「ぐっ……!」
転がり落ちた先は、巨大な空洞だった。
天井は遥か高く、中央には凍りついた湖が広がっている。
湖の中心で、何かが動いた。
氷が軋み、割れる音。
姿を現したのは、異形だった。
四足だが、獣ではない。
岩と氷を無理やり組み合わせたような巨躯。
胸部に、蒼い結晶核が脈打っている。
――深層守護体。
迷宮が、侵入者を拒むために生み出した存在だ。
「……正面からは無理だな」
剣を構えるが、足が重い。
空洞全体に、重圧のような魔力が満ちている。
巨体が動く。
腕のような氷塊が振り下ろされた。
回避が遅れ、衝撃波に吹き飛ばされる。
身体が壁に叩きつけられ、息が詰まった。
――集中しろ。
ノアの意志が、強く流れ込んでくる。
だが、焦りがそれを弾いた。
「わかってる……!」
立ち上がろうとした瞬間、視界が揺れた。
胸の奥が、冷たく締め付けられる。
――契約が、乱れている。
このまま力を引き出せば、心が削られる。
だが、引かなければ、ここで終わる。
ノアが、リオハの前に立った。
小さな背中が、巨大な影に向かっている。
――守る。
その意志に、迷いはなかった。
「……違う」
リオハは、ゆっくりと立ち上がる。
剣を下げ、深く息を吸った。
「一緒に行くんだ」
右手の契約印が、静かに光を放つ。
熱ではない。
温度を感じさせない、穏やかな共鳴。
視界が澄む。
巨体の動きが、明確に読めた。
ノアが走る。
リオハも同時に踏み出す。
互いの位置、呼吸、次の一手。
言葉はない。
だが、ずれがない。
ノアの氷魔法が、湖面を覆う。
守護体の脚が、わずかに沈んだ。
その瞬間、リオハは跳ぶ。
剣を、結晶核へ突き立てた。
衝撃。
核がひび割れ、蒼い光が噴き出す。
守護体が崩れ落ち、氷と岩に還る。
静寂。
リオハは、その場に膝をついた。
だが、先ほどのような虚脱感はない。
ノアが近づき、額を軽く触れさせる。
――今のが、契約だ。
「……ああ」
深淵は、まだ終わらない。
だが、確かに一歩、踏み込めた。
氷晶の迷宮は、何も語らない。
それでも、その沈黙は、以前より重くなかった。
二つの影は、さらに深い層へと進んでいく。
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