第4話 氷の精霊の導き

氷晶の迷宮は、階層を下るごとに空気の質を変えていく。

冷たさそのものは変わらない。

だが、肌ではなく、心の奥に触れてくる感覚が強くなっていた。


リオハは足を止め、静かに周囲を見渡した。

通路はいつの間にか広くなり、天井からは細かな氷片がゆっくりと降り注いでいる。

雪ではない。

光を含んだ、結晶の粒だった。


ノアが耳を伏せ、慎重に一歩前へ出る。


――ここは、境だ。


直接言葉として届いたわけではない。

だが、そう理解できた。


「境?」


答えるより早く、氷片が空中で弾けた。

淡い光が集まり、ひとつの形を結ぶ。


人の姿をしているが、輪郭は曖昧だ。

透き通った身体の内側で、氷の文様が静かに流れている。


「……精霊、か」


氷の精霊。

迷宮の深層に近い場所でのみ姿を現す存在。

意思を持つが、人間の価値観では測れないと言われている。


精霊はリオハを見つめ、次にノアへと視線を移した。

そして、ゆっくりと頷く。


「契約は、まだ浅い」


声は音ではなく、直接頭に響いた。

冷たいが、拒絶ではない。


「この迷宮は、力を試す場所ではない。

心を映す場所だ」


リオハは思わず拳を握った。

思い当たる節がありすぎる。


「迷宮に入った者は、何かを得る。

だが同時に、何かを失う」


精霊の指先が動くと、氷壁に映像が浮かび上がった。

かつての契約者たち。

力に溺れ、魔獣を道具として扱い、やがて自我を保てなくなる姿。


「契約とは、支配ではない。

並び立つことだ」


ノアが低く鳴いた。

誇らしさと、わずかな緊張が混じった感情が伝わってくる。


「人は独りで立てると思い込む。

だが、独りで進める場所は、ここにはない」


精霊の視線が、再びリオハに戻る。


「お前は、独りであろうとした」


胸を突かれたような感覚。

反論しようとして、言葉が出てこない。


傭兵として生きるには、それが一番楽だった。

誰にも期待せず、誰にも踏み込ませない。

だが、それは同時に、誰も守らない生き方でもある。


「変われ」


精霊は命令しなかった。

ただ、事実を示しただけだ。


「迷宮は、その覚悟を試す」


光がほどけ、精霊の姿が薄れていく。

最後に、ひとつだけ言葉が残された。


「進む道を示そう。

だが、歩くのはお前自身だ」


氷壁に、新たな通路が開いた。

今までとは違う、緩やかな下り坂。


リオハはしばらく動けずにいた。

胸の奥に、重たい何かが沈んでいる。


ノアが、静かに隣に座る。

距離は近いが、寄りかかってはこない。


――一緒に行く。


それだけで十分だった。


「……ああ」


短く答え、リオハは立ち上がる。

剣を握る手に、余計な力は入っていない。


独りで進むつもりは、もうなかった。


二つの足音が重なり、氷の通路に吸い込まれていく。

迷宮は、静かに次の試練を用意していた。

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