第3話:捕食者が、餌に溺れる夜

​「やっ、あ……ぁ、ああああっ!!」


 ​深夜の静寂を、ルシアの悲鳴とも喘ぎともつかない声が切り裂いた。

 彼女の視界は白濁し、心臓はこれまでに経験したことのない早鐘を打っている。

 サキュバスにとって、精気の吸収は快楽を伴う。しかし、健二から流れ込んでくるそれは、もはや快楽という生易しいものではなかった。それはまるで、小さなバケツに大河の激流を無理やり流し込まれているような、暴力的なまでの充填だった。

​(このままじゃ、壊れる……私が、弾け飛んじゃうっ!)

 ​ルシアの脳裏に、魔界の上司の冷酷な声が蘇る。


『任務失敗は死、あるいはそれ以上の屈辱を与えられ、魔界から追放されると思いなさい』


 見習いのルシアにとって、手ぶらで帰ることは処刑を意味する。恐怖に突き動かされた彼女は、あろうことか、さらに強く健二の体に指を食い込ませ、無理やり「吸収」を続行しようと試みた。

 ​だが、それが致命的な引き金となった。


​「――っ!?」


 ​健二の体内にある膨大なエネルギーが、ルシアの強引な誘いに導かれるように、さらなるうねりを上げて「溢れ出した」。

 ​それは、誰にも使われず、誰にも愛されず、三十年近く密封され、静かに発酵し続けていた純粋な生の熱だ。

 他者に分け与える機会があれば、これほどまでに溜まることはなかった。誰かに恋をしたり、趣味に没頭したり、社会に認められていれば、少しずつ消費されていたはずのエネルギー。

 それが、あまりにも孤独だったがゆえに、一切の不純物が混ざらない「原液」のまま、彼の中に残っていた。


​「……あ、ああ……あったかい……っ」


 ​ルシアの意識が、遠のいていく。

 欲情ではない。生存本能に刻まれた恐怖でもない。

 ただ、圧倒的なまでの「充足」だった。

 常に飢え、常に他者の精気を奪わなければ維持できないサキュバスという業の深い存在が、今、この冴えない男一人によって、永遠に満たされてしまうような感覚。


​「おい……あんた、大丈夫か?」


 ​不意に、太い声がルシアの耳に届いた。

 健二が、その大きな手でルシアの震える肩を支えていた。

 その手の温もり。微かな肌の感触。


​「……あ」


 ​健二は目を見開いた。

 指先に伝わる、驚くほどの弾力。ルシアが流す涙の、熱い感触。

 これは夢じゃない。

 PCのモニター越しに眺めていた虚像でも、孤独が作り出した幻覚でもない。今、目の前で、自分のために泣き、自分に溺れている、本物の「誰か」だ。


​「……夢じゃ、ないのか」


 ​健二は自嘲気味に笑った。

 普通の男なら、正体不明の化け物に襲われれば逃げ出すだろう。だが、彼は拒否しなかった。

 たとえ、この美しすぎる捕食者に、文字通り自分の命を最後まで吸い尽くされて死んだとしても、人生で初めて、自分という存在が「誰かの腹を満たした」という事実に、救いを感じてしまったのだ。


​「いいよ。ルシア……だっけ。苦しいなら、もっと吸え。俺なら、いくらでもやるから」


 ​その言葉が、ルシアの防波堤を完全に粉砕した。

 奪う必要などなかった。

 この男は、差し出しているのだ。世界から拒絶され続けたその両手を、初めて、ルシアという異形の存在に向けて。


​「……ぁ……あぁっ……!」


 ​ルシアは、完全に敗北した。

 狩人としてのプライドも、魔界への忠誠心も、健二の圧倒的な慈愛(エネルギー)の前では塵に等しかった。

 彼女は健二の胸からずるずると滑り落ち、ベッドの脇に膝をついた。

 爆乳を包むマイクロビキニは、健二から溢れた精気の余韻で発光し、彼女の全身は汗で濡れそぼっている。


​「……無理。もう、無理です……」


 ​ルシアは、健二のパジャマの裾を、震える指先でぎゅっと握りしめた。

 その瞳には、先ほどまでの傲慢さは微塵も残っていない。

 そこにあるのは、たった一人の飼い主を見つけた、迷い子の切実な依存だった。


​「私……もう、魔界には帰れません。貴方のこれを知ってしまったら、他の男のものなんて、泥水みたいで飲めない……っ」


 ​ルシアは、健二を見上げた。

 絶世の美貌が、捨てられた子犬のような表情で、一人の冴えない男に請い願う。


​「……私、あなたから離れられません。……お願い。ここに、貴方のそばに……置いてください……っ」


 ​それは、最強の捕食者が、最弱の獲物に、永遠の服従を誓った瞬間だった。

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