第2話 無粋な客には「教育」が必要です



メリメリッ、という嫌な音と共に、ドアのロックが悲鳴を上げた。

 次の瞬間、ガラス扉が乱暴に押し開かれ、一月だというのに冷気よりもさらに不快な熱気をまとった男たちが、土足のまま店内になだれ込んでくる。


「へへっ、いるじゃねえか。居留守とは感心しねえなぁ」


 先頭に立ったのは、安っぽい紫色のダブルスーツを着込んだ小太りの男だった。

 その後ろには、見るからに知性の足りなさそうな、ジャージやスカジャンを着た強面こわもての男が三人。手には鉄パイプやバットが握られている。昭和のドラマの再放送かと思うような、ステレオタイプな悪党の図だ。


「こ、小西こにし市議……!?」


 俊夫が素っ頓狂な声を上げた。

 男の名は小西。この地区の市議会議員だが、黒い噂が絶えない人物だ。

以前から「道路拡張計画」という嘘八百を並べて、この喫茶店の立ち退きを迫ってきていた。


「新年あけましておめでとう、店長さんよぉ。今日は改めて『お願い』に来てやったぞ」


「お、お願いって態度じゃないでしょう! それに今日はもう閉店です、帰ってください!」


「つれないことを言うなよ。俺はなぁ、この国の未来を憂いているんだ」


 小西はニタニタと笑いながら、店内を見回した。そして、あろうことかカウンターに土足のまま足をかけた。


「ある高名な占い師が言っていたんだよ。この土地は、古来より『龍脈』ならぬ『猫脈ねこみゃく』の特異点だとな。

ここに俺の選挙事務所を建てれば、運気はうなぎ登り。市議どころか国政、いずれは総理大臣も夢じゃねえってな!」


「は、はあ!? 猫脈……? 何を訳の分からないことを……」


「黙れ! 貴様の理解など求めておらん! 俺という国家の宝のために、さっさと権利書を出せと言ってるんだ!」


 あまりに自己中心的かつオカルトじみた理屈に、俊夫は開いた口が塞がらない。

 そんな人間たちのやり取りを、テーブルの上のサファイアは冷ややかな目で見下ろしていた。


(……猫脈、ですか。まあ、あながち間違いではありませんが、貴方のような欲にまみれた豚が踏み込めば、運気どころか呪いで即死でしょうねえ。学習能力のない生き物は哀れです)


 サファイアが呆れて毛づくろいを再開しようとした、その時だ。


「おい、てめえら! さっさと店の権利書を出さねえと、痛い目見ることになるぞ!」

 後ろに控えていたチンピラの一人、金髪の男が威嚇いかくのために持っていた鉄パイプを振り回した。


 ブン、と空を切ったパイプが、あろうことかパーティーの準備が整っていたテーブルの端に当たる。


 ガシャァァァン!!


 派手な音と共に、テーブルが大きく傾いた。


 俊夫と瞳が時間をかけて用意したローストビーフが、テリーヌが、そして何よりミーコが楽しみにしていた特製プレートが、無惨にも床へとぶちまけられる。


「あ……」


 瞳が悲痛な声を上げた。


 砕け散った皿の破片と、泥足で踏み荒らされる料理。香ばしい匂いは、瞬く間に暴力の気配にかき消された。


「ミャァァァ(ひっ、うぅ……怖いよぉ……)」


 瞳の足元で、ミーコが小さく震えながら鳴いた。

 その声に気づいた別のチンピラ、目つきの悪いスキンヘッドの男が、ニヤリと歪んだ笑みを浮かべてミーコを見下ろした。


「あぁ? なんだこの薄汚ねえ雑種は。人間様の話の腰を折るんじゃねえよ!」


 男が右足を大きく振りかぶる。

 狙いは、怯えて縮こまっている小さな三毛猫。


「やめろ!!」


 俊夫が叫び、身をていして庇おうとするが距離がある……間に合わない。

 男の汚れたスニーカーの底が、ミーコの顔面に迫る寸前……


「……そこまでです」


 凛とした、しかし氷点下の如く冷徹な声が、場の空気を凍りつかせた。


 ピタリ、と男の足が止まる。


 いや、止めたのではない。何者かの強烈な殺気に当てられて、本能的に身体が動かなくなったのだ。


「あっ……? なんだぁ?」


 男が脂汗を浮かべて視線を彷徨さまよわせると、テーブルの上に残っていた唯一の存在である黒猫のサファイアが、ゆらりと立ち上がっていた。


 金色の瞳孔は、細く鋭く収縮し、捕食者の輝きを放っている。


「……おやおや。ボクの目の前で、ボクの大切な妹分にその泥だらけの靴を向ける。

その行為がどういう結果を招くか……その貧相な脳みそでは計算できなかったようですね?」


 サファイアは言葉を紡ぐ。とても丁寧に、慇懃いんぎんに。


「それに、見てください、この惨状を。瞳さんが丹精込めて作った料理が台無しです。食材への冒涜ぼうとく、料理人への侮辱、そして何より……」


 サファイアは一歩、また一歩と、宙を歩くようにテーブルの端へ進み出る。その全身から立ち昇るオーラは、もはや可愛らしい愛玩動物のそれではない。


「ボクの楽しい食事の時間を邪魔した罪。……万死に値しますよ?」


 チンピラたちは顔を見合わせた。


「な、なんだこの猫……喋ったぞ!?」


「気持ち悪ぃな! オラッ、まずはテメェからスクラップにしてやる!」


 恐怖を怒りで誤魔化すように、スキンヘッドの男がバットを振り上げ、サファイア目掛けて振り下ろした。


「遅いですねえ」


 サファイアがふっと笑ったように見えた瞬間、その姿が掻き消えた。



── 続く ──



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