〖お題フェス「祝い」〗謹賀新年、招き猫につき取扱注意。 ~祝いの席の不届き者には「極上の肉球」を差し上げます ~

月影 流詩亜

第1話 幸福な食卓と招かれざる足音


一月七日。松の内最後の日


 午後八時を回り、喫茶店「ネコの尻尾」の看板の明かりが消えた。

 外は肌を刺すような寒風が吹き荒れているが、店の中は暖炉のような温もりに包まれている。

ほのかに漂うのは、コーヒーの香ばしさと、これから始まるささやかなうたげの匂いだ。


「ふう、やっと終わったぁ……」


 エプロンを外しながら、俊夫としおは深く息を吐き出し、そのまま椅子へと沈み込んだ。心地よい疲労感が全身を巡る。


 かつてブラック企業でシステムエンジニアとして酷使されていた頃は、正月休みなど都市伝説だった。

日付が変わるまでデスマーチを続け、コンビニの廃棄弁当を啜っていたあの頃に比べれば、今の疲れはなんと人間的で、充実していることか。


「お疲れ様、俊夫さん。お正月三が日から今日まで、本当に目が回る忙しさだったわね」


 厨房から、妻でありこの店のオーナーであるひとみが、湯気の立つ大皿を運んできた。


 ローストビーフにスモークサーモンのマリネ、そして彩り豊かな野菜のテリーヌ。

人間用の料理の横には、猫用の特製プレート――茹でたササミと、高級カリカリの盛り合わせ――も用意されている。


「本当にな。でも、嬉しい悲鳴だよ。これも全部、あの子のおかげかな」


 俊夫が目を細めた先には、カウンター席の上でちんまりと座る、小さな三毛猫の姿があった。

 名前はミーコ。 一ヶ月前、雨の日に迷い込んできたところを保護し、そのまま「ネコの尻尾」の看板猫兼、家族として迎え入れた子猫だ。


 ミーコが来てからというもの、客足は右肩上がり。まさに生きた招き猫である。


「ニャァ~(ごはん、まだぁ?)」


 待ちきれないのか、ミーコが甘ったるい声で鳴き、テーブルの脚にすり寄ってくる。その愛らしさに、俊夫の頬は雪崩なだれのように緩んだ。


「よしよし、今あげるからな。

今日は『お正月営業お疲れ様会』と、『ミーコがうちの子になって一ヶ月記念』のダブルお祝いだ。奮発したぞぉ」


 俊夫が猫用プレートを手に取ろうとした、その時だ。


「おやおや。主賓であるボクを待たずに始めようとは……俊夫さん? その程度の危機管理能力と協調性のなさでは、またブラック企業に搾取されるだけの人生に逆戻りですよ?」


 鈴を転がすような、しかしどこか絶対零度の響きを含んだ声が、店内に響いた。

 俊夫がギョッとして振り返ると、いつの間にか店内で一番上等な革張りのソファ席に、漆黒の影が鎮座していた。


 金色の瞳に、艶やかな黒い毛並み。首元には赤いリボン。近所の本屋の看板猫でありながら、我が物顔でこの店に出入りする黒猫サファイアである。


「サ、サファイア……いつの間に」


「いつの間に、ではありませんよ。貴方が間抜けな顔でエプロンを畳んでいる隙に、堂々と正面から入店しました。セキュリティ意識がザルですねぇ。網戸の方がまだマシなレベルです」


 サファイアは呆れたように髭を震わせると、優雅な動作でテーブルの上へと飛び乗った。

 その態度は慇懃いんぎんだが、言葉の端々には人間を見下すとげがある。


一人称が「ボク」であるこの猫は、ただの猫ではない。都市伝説として語られる猫の地下組織「NNN(ねこねこネットワーク)」の幹部であり、人の言葉を解し、あまつさえ喋る「猫魈ねこしょう」なのだ。


「ニャ(おねーちゃん!)」


 ミーコが嬉しそうに駆け寄ると、サファイアの冷ややかな表情が一瞬で崩れた。

 優しい姉の顔になり、ミーコの頭をペロペロと舐める。


「こんばんは、ミーコ。毛並みがいいですね。

ちゃんとブラッシングしてもらっていますか? この飼い主たちは気が利かないところがありますから、不満があればすぐにボクに言うんですよ。然るべき処置(制裁)を下しますから」


「ニャァオ、ニャァオ(えへへ、だいじょーぶだよ。としおさんもひとみさんも、やさしいよ)」


「……そうですか。まあ、ミーコが幸せなら、今日は見逃してあげましょう」


 サファイアは尻尾を優雅に揺らしながら、テーブルの上の料理に視線を落とした。


「ふむ。ローストビーフの焼き加減は悪くないですね。……おや? まさかとは思いますが、ボクの分のササミが、ミーコより〇・五グラムほど少ないなんてことはありませんよね?」


「あるわけないだろ! ちゃんと測って同じ量だよ!」


 俊夫が慌てて否定すると、サファイアは「冗談ですよ、冗談。心の余裕がない大人はモテませんよ」と鼻で笑った。


 瞳がくすくすと笑いながら、ワイングラスと猫用のミルクを用意する。


「はいはい、喧嘩しないの。今日はめでたい『祝い』の席なんだから。サファイアちゃんも、いつもミーコと遊んでくれてありがとうね」


「礼には及びませんよ、瞳さん。ボクはただ、将来有望な猫材(じんざい)を育成しているだけです。……それに、ここの居心地は悪くない」


 最後の一言はボソリと付け加えられたが、俊夫たちの耳にはしっかりと届いた。


 平和だ。


 外の寒さが嘘のような、温かい食卓。


 俊夫はグラスを手に取り、瞳もそれに倣う。

サファイアとミーコも、ミルクの入った皿の前にスタンバイした。


「それじゃあ、改めて……ネコの尻尾の繁盛と、俺たちの新しい家族に」


「乾杯!」


 グラスが触れ合い、澄んだ音が店内に響き渡る……はずだった。


 ドォォン!!


 突然、店の入り口のドアが、何かが激突したような轟音を立てて震えた。


 乾杯の音など消し飛ぶほどの衝撃音に、ミーコが「ひゃっ!」と悲鳴を上げて瞳の足元に隠れる。


「な、なんだ!?」


 俊夫が立ち上がると同時に、鍵をかけていたはずのドアノブがガチャガチャと乱暴に回され、再び蹴破るような音が響く。


「おい!! いるのは分かってんだぞ!! 開けろオラァ!!」


 ガラス越しに聞こえてきたのは、祝いの席には似つかわしくない、下品で暴力的な怒号だった。

 サファイアはミルクに伸ばしかけた舌を止め、ゆっくりと顔を上げた。

その金色の瞳から、先程までの呆れたような色が消え、底冷えするような光が宿る。


「……おやおや。どうやら、招かれざる『害獣』が迷い込んできたようですねえ」


 幸せな宴は、唐突に終わりを告げた。



── 続く ──



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