第五話 孤独の要塞と「選別」
第五話 孤独の要塞と「選別」①
安ビジネスホテルの薄い壁から漏れる、隣人の咳払いや深夜のテレビの音。
それらすべての「生活のノイズ」から逃れるため、僕は究極の沈黙を買うことにした。
都内でも有数の、要塞のような最高級タワーマンション。
かつて美咲と冷やかし半分で眺めたあの景色を、僕は今、一人の住人として見下ろしている。
かつて住んでいた四畳半の木造アパートなら、建物ごとすっぽり収まってしまいそうな広大なリビング。
足元に広がるのは、磨き抜かれた大理石の床だ。
それは鏡のように僕の虚ろな顔を映し出し、一歩歩くごとに、冷たく乾いた音を室内に響かせる。
ここには、僕を脅かすものは何一つない。
エントランスには制服を正したコンシェルジュが控え、入居者以外の接近を許さない。エレベーターに乗るには専用の非接触カードが必要で、さらに自室の玄関前では最新式の指紋認証システムが僕を検品する。
物理的な壁、電子的な壁、そして金という名の見えない壁。
三重、四重に重ねられたセキュリティは、僕にとっての「城壁」だった。
「これで、もう誰も入ってこれない」
窓際に立ち、厚さ数センチメートルはある複層ガラスに額を押し当てる。
地上二百メートル。眼下に広がる街並みは、まるで精巧なジオラマのようだ。
あの中には、僕の金を狙って電話を鳴らし続ける母がいて、心配を装いながら投資話を小脇に抱えた旧友がいて、僕を「成金」と呪いながら今日も満員電車に揺られる元同僚たちがいる。
彼らは、ここからはただの「点」にしか見えない。
かつて同じ目線で呼吸していたはずの人々が、今では自分とは違う、下等な生物の群れのように思えた。
部屋の中には、最高級の家具を並べた。座る者など僕しかいないのに、イタリア製のソファは五人も座れるほど巨大だ。
けれど、どんなに贅沢な調度品で空間を埋めても、この部屋に満ちているのは「圧倒的な欠落」だった。
かつての日常にあった、美咲の笑い声や、明日へのささやかな希望。そんなものはこの鉄壁の城壁を越えることはできなかった。
いや、僕自身が、それらを「異物」として排除してしまったのだ。
ふと、部屋の四隅に設置された監視カメラのモニターに目をやる。
無機質なレンズが、広いリビングにぽつんと座る僕を捉えている。
守られている。確かに僕は守られている。
けれど、この鉄壁の城壁の内側にいるのは、安全な避難者ではなく、自ら出口を塗りつぶした囚人なのではないか。
そんな疑念が頭をよぎるが、僕はすぐにそれを打ち消す。
孤独。結構じゃないか。
誰にも裏切られず、誰にも利用されないためには、この静寂こそが唯一の正解なのだ。
僕はワインセラーから、かつての月収に匹敵する値段のシャトーを一本抜き取り、グラスに注いだ。
琥珀色の液体は、孤独の味がした。
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