第四話 亡者たちの行進②

​ 電源を切ったはずのスマートフォンが、再び起動するたびに震え、鳴り響く。

 不在着信のリストは、僕の記憶の地層を掘り返すような名前に埋め尽くされていた。高校時代の友人、大学のサークルの先輩、そして十数年連絡もなかった小学校の同級生。

 彼らとの思い出は、いつも穏やかで、懐かしく、金とは無縁の場所にあったはずだ。けれど今、僕の耳に届く彼らの声は、例外なく奇妙な「湿り気」を帯びていた。


​「健一、久しぶりだな! お前のニュースを聞いて、自分のことみたいに嬉しくてさ」


​ カフェの窓際で、かつての親友だった男、直樹が眩しいほどの笑顔を見せていた。

 彼は学生時代、誰よりも僕を勇気づけてくれた男だった。だが今、彼の瞳は僕の顔を通り越し、僕がテーブルに置いた財布や、袖口から覗く時計を執拗に追いかけている。


「……ニュースって、何のさ」


「とぼけんなよ! 十億だろ?

 お前の将来、俺が本気で心配してやってるんだ。急に大金を持つと、変な奴らが寄ってくるからな。

 だからさ、信頼できる俺の知り合いのファンドマネージャーを紹介したいんだ。手堅く回せば、一生遊んで暮らせるぜ。ま、紹介料なんていらないけど、一口五百万くらいから始めないか?」


​ 直樹の言葉は淀みなかった。

 彼は「心配」という仮面を被りながら、僕の資産を切り崩し、その一部を自分の懐に流し込もうとするためのロジックを完璧に組み立てていた。

 彼だけではない。その日の夕方、僕はかつての恩師からも連絡を受けた。

 

「佐藤くん、君の活躍(彼は当選をそう呼んだ)は聞き及んでいる。

 実は、母校の図書館が老朽化していてね。君のような成功者が寄付をしてくれれば、後輩たちの励みにもなる。名前を冠したプレートを飾ることもできるよ」


​ 尊敬していた老教師の声は、どこか卑屈な響きを帯びていた。

 彼らにとって、僕はもう「教え子」でも「友人」でもなかった。


 ただの「十億円が詰まった歩く金庫」であり、その扉をいかにして開けさせ、自分たちの分け前をもぎ取るかというゲームの標的に過ぎない。


​ カフェを出て、一人で街を歩く。

 すれ違う人々、道端で笑い合う若者たち。彼らの中の誰が、明日、僕に「久しぶり」と声をかけてくるだろう。そしてその「久しぶり」の裏側に、どれほどの欲望を隠して近づいてくるのだろう。

 

 これまで僕が大切に積み上げてきた「絆」や「信頼」といった言葉が、十億円という数字の前では、あまりに無力で、あまりに安っぽい紙屑のように感じられた。


 彼らの被っている善意の仮面が、金という熱に溶かされて、醜い素顔を晒していく。

 その光景を見るたびに、僕の心は冷たく、硬い石のように固まっていく。


​「……誰も、僕を見ていない」


​ 呟いた言葉は、冬の夜気に白く溶けた。

 かつての友人も、恩師も、僕の幸せなんて一ミリも願っていない。彼らが跪いているのは、僕の魂ではなく、僕の通帳に記されたゼロの羅列なのだ。

 絆という名で呼ばれていたものは、実は、利害関係という鎖の別名に過ぎなかった。

 

 僕はスマホをポケットの奥深くに押し込んだ。

 もう、誰の仮面も見たたくない。

 僕は一人、夜の雑踏の中へ、自分自身の人間性を捨て去るための場所を探して歩き出した。

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