第7話
頬に温かい感触がして、みてみると夏基の手が白川殿の頬に触れていた。涙をぬぐうように。
「え、あの……」
「すまない。起こそうか悩んでいたら」
涙を流していた為、夏基はついその涙を拭ったという。
「いえ、すみません。みっともないところをおみせして」
「みっともないも何も気にしなくていいですよ」
本来は夫婦なのだから。
「風早中納言の夢ですか?」
「はい。初めて会ったときもこのような肌寒さと夜空でした」
会いたくてたまらない。どうして自分を置いて去ってしまったのだろうか。
「会いに行ってみましょうか?」
ぽつりと呟く夏基の言葉に白川殿は胸が熱くなった。
「彼の墓参りに行ってみましょう」
「え、……でも」
本来ならば白川殿と風早中納言の恋仲は許されるものではない。風早中納言の身内からは主人をたぶらかしたひどい女と認識されていることだろう。そんな彼女が墓参りに行ったと知られればどう思われるだろうか。
「大丈夫です。この時節、宮中の行事で忙しく風早の君には気づかれません」
兄の理基の最近の様子では務め場所の蔵人では現在春の行事で忙しくしている。その部下である風早の君も同様だ。また、鈴姫入内の日取りも決まっており貴族たちはこぞって内大臣家にとりいっているという。
そんな中かつての醜聞の主である二人のことなど世間の中では遠い昔のことのよう扱われている。
「どうです? 行きたくないのですか?」
正直に言えば行きたい。
「ですが、もし風早の君にばれたら……」
自分のことをあまりよくは思っていない風早中納言の子供は、親の墓参りに行ったと知られればどう感じるだろうか。そう思うと白川殿はつらく感じた。だから、白川殿はかの君への想いと思い出のみ心に抱き続けるだけで満足しようとしていた。
「何だったら昔縁があった豪族やら下級貴族の兄妹と偽っていけばいい」
一度でも想い人の傍に行きたいと思っていた白川殿はこくりと頷いた。
◆◆◆
風早中納言の墓は宇治の里にある。夏基は休暇をとり白川殿と共に宇治へと向かった。この時節周りの者は夏基の休暇に対して特に口にしなかった。夜這いをかけようとしていた鈴姫の入内で話題が持ち切りの宮中で過ごしづらいと感じていたのだろうとその程度の認識であった。
「宇治に父の別荘がある。そこで宿を取りながら墓参りに行こう」
そう提案した夏基は早速別荘の管理者に連絡して白川殿を迎える準備をしてもらっていた。
「不便なことがあれば遠慮なく言ってください」
大丈夫ですと白川殿は答えた。柚木は早速別荘の管理者と使用人に挨拶し別荘のことをあれこれと聞いていた。
「中納言の墓はあの山のふもとにある寺にあります。奥方と一緒に一族の墓で眠っているそうです」
夏基の話を聞き白川殿は首を傾げた。
「どうしました?」
いえと白川殿は何でもないと答えた。
宇治の里に奥方の墓があるならば何故あの時関係のない山寺にいたのだろうか。
実際ご遺体はあそこで眠ってて、もうひとつ墓を設けたということかしら。
それ以上考えてもよくはわからない。
夏基の立てた予定通り明朝、寺のほうへ向かおう。そう考え、その夜は旅の疲れをいやす為早々に休むことになった。無論、夏基は遠慮して別の部屋で休みをとっていた。
考えても仕方ない。あの方のお傍に近づけるならば……。
今まで風早中納言家に遠慮していくことが叶わなかった墓参りである。胸がきゅっとなるが、ここで機会を逃せばいつ行けるかわからない。
別れを、告げなければ。
それで自分の気が晴れるとは思えない。ただ、あの世に行った者に改めて別れを告げるのだ。
妻として心をいっこうに開こうとしない自分にここまでしてくれる夏基に申し訳ないと思った。
せめてもう少し彼に心が開けるように風早中納言に伝えるのだ。
今までのお礼と、今まで参れなかったお詫びと、そして別れを。
明朝身支度を済ませて早めの出発となった。
距離があるので、馬で行くこととなった。夏基は時折振り返り、白川殿の様子を確かめながら馬を進めた。
「きつくないですか?」
「馬に乗ったのもはじめてですが、大丈夫です」
白川殿は笑いながら答えた。
一時程馬を歩かせてようやく山のふもとの墓にたどり着いた。寺の小坊主がちょうどいて声をかけた。小坊主はすぐに中から僧侶を呼んだ。
「ほう、中納言様に御恩のある方」
「ええ、昔私たち兄妹によくしてくださり一度お礼をと参りに来ました」
僧侶は快く風早中納言の墓へ案内した。白川殿はその墓の前で膝をおりじっとその墓石を見つめた。
「それでは私は席を外します。境内にいますので終わったら教えてくださいね」
夏基の言葉に白川殿はこくりと頷いた。一人残された白川殿は頭に被っていた袿を外し顔を出した。
「中納言様、風早様……、お久しぶりです」
そっと墓石に触れる。この下にかの方が眠っている。この声は届いているだろうか。
「今まで来れなくて申し訳ありません。ですが、こうしてあなたに会うことができました。……私はあなたのことが本当に好きでした」
共に眠る奥方に対して申し訳ないという気持ちはある。しかし、自分が生まれて初めて心を開き愛したことに後悔などなかった。風早中納言家の者、自分の父・兄に迷惑をかけるとわかったとしても止まらずにはいられなかった。
「本当に幸せでした。あなたは私の下手な歌を聞いたら優しく答えてくれて、日々の話を面白おかしく教えてくださった。そして、何よりも優しくて……本当にあなたに出会えてよかった。ありがとうございました」
そして、さようなら。
ようやく言わなければならない言葉を呟き終え白川殿は境内へ戻ろうとした。すると後ろにじっとこちらを見ている視線に気づいた。後ろを振り向くと狩衣姿の男の後姿であった。男は林の中へ消えていった。
その立ち居振る舞いをみて白川殿はまさかと思った。
「風早様?」
風早中納言の姿そのものであった。
白川殿はいてもたってもいられず林の方へ駆け寄った。林の中へ入るとちらりと木々の影へ隠れる布がみえた。
白川殿は急いでその方へ駆け寄る。しかし、足に地が付かないのを感じ下をみるとそこには地面がなかった。慌てて引き返そうと思っても遅く白川殿はそこへと落ちていった。
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