第8話

 意識が遠のく中、懐かしい記憶が蘇ってきた——

 

 夜桜が美しい花の宴の中、私は思った以上の人の出入りに疲れ休みたい旨を柚木に言った。それに柚木は頷いてそれとなく彼女を寝所のほうへ案内する。

「ごめんなさい。適当に夜風にあたれば楽になるから柚木は戻って」

 せっかくの宴なんだから、というと柚木は首を横に振って近くに控えているという。

「近くに控えていますので何かありましたら呼んでください」

 そういい柚木はその場を離れた。夜空を見上げると満月にまだ至っていない月が輝いていた。それをぼんやりと眺めていると庭に人影がうつった。

「っ……」

 私は慌てて後ろへ控えようとするが、優しい声が聞こえた。

「やや、すまない。驚かしてしまったね」

 それはあの時山寺で出会った男・風早中納言であった。

「あ、あの……私を覚えていますか?」

 突然の私の言葉に彼はきょとんとして首を傾げた。


 ああ、覚えていないのだ。


 一瞬で落胆しそうになったら男はくすくすと笑いだした。

「もちろん覚えているよ。あの時の姫でしょう」

 それを聞き私は胸の奥が熱く高鳴るのを感じた。

「あの、これを」

 私は懐にしまっていた手拭を風早中納言に渡した。

「持っててくれたのかい?」

「はい。いつかお返したいと思ったのですが」

「そうかい。ありがとう」

 しばらくお互いのことを語り合った。風早中納言は最近起きた宮中での楽しい出来事を面白おかしく語ってくれて私を楽しませてくれた。

 宴の堅苦しい挨拶など抜きで気が軽く私にはとても楽しいひとときであった。

 時間が過ぎそろそろ戻らなければと風早中納言が去ろうとすると私は声をかけた。

「あの、また会ってくれますか?」

 そういうと風早中納言はにこりと微笑んだ。

「こんなおじさんの話でよければまた付き合っておくれ」

 それを聞き私は嬉しくなった。翌日彼から文が届けられ、それを返し何度か交流し合った。はじめは友人としての交流だったと思う。しかし、文を交わす毎に内容は熱いものへと変わり、ひと月経った頃には私たちは恋仲となっていた。


 風早中納言と私が恋仲になって一年間誰にも知られずに過ごせていた。父にさえも。柚木もはじめは驚き私に思いとどまるように説得していたが私の意志の強さに折れ私たちの仲をとりもってくれた。

 しかし、私たちの仲はほどばくして周囲にばれてしまう。

 どこで嗅ぎつけられたのかはわからないが、あっというまに噂となり都中に広まってしまった。

 私は父と兄の前へ引きずり出された。

 私と風早中納言との関係を問われると私は否定せず、兄はすぐに私の頬を叩いた。

「お前は何ということをしたんだ! 父上がお前の為にこの邸を与えかわかるか? この数年にわたり計画していたことを無駄にしてしまったのだぞ!!」

 兄の激昂に私はそのときようやく理解した。何故末姫の私がこのように立派な邸を与えられたか。この数年多くの公達からの恋文がこようと見向きもしなかった私に父も兄も何も言わなかったか。

 私は幼い東宮の妃として入内する予定だった。

 こんな私でも入内させようとしていたことに驚いた。和歌がいまいち、箏は何とか及第点に入るか怪しい私に、それでも入内を画策していたとは。

 今の帝には東宮を立てる為の相応の子供がいなかった。いや、いるにはいる。私の姉が生んだ親王である。病弱な親王が東宮位につけば兄の幼い姫が妃となる算段であった。しかし、かの親王は病弱で帝位につけるか怪しかった。

 そのため、帝の弟が東宮に立つことになるが年齢的に合う姫が私だけだったのだ。

 私は母の願い通り女御になるためにこの邸に主として招かれた。

「お前も姉と同じ栄華を得られるはずだったのに」

 それを他の男に、しかも親と子も年齢が離れている男にほだされるなど。

「正気の沙汰ではない。狂っている」

 兄はそう言い私を詰った。

「お前のような小娘に手を出すなど風早中納言もかなりの色物だな」

 私は耐えようとしたが彼のことを言われては黙っていられない。気づけば兄を睨みつけていた。

「風早中納言様を悪く言わないでください。彼はとても優しく私の何もかもを受け入れてくださりました」

 母から不出来と言われ折檻を受けて、そこまで教育されたのにできる歌や字は並以下。それでも風早中納言は愛らしいと褒め愛でてくれた。生まれて初めてありのままの私を受け入れてくれた。私は嬉しく何度涙がこぼれそうになったかわからない。

「一族の面汚しめ! 父上、早々に尼寺にでも追い出してしまいましょう」

 兄は父に提案した。ずっと事の次第をみていた父は静かに言った。

「もうよい……東雲よ。今回は諦めよう」

 父は疲れた様子だった。あんなに大きく見えた父は小さな老人のように見えた。

「しかし」

「鈴姫の成長を待ってもいいではないか」

 鈴姫――兄の娘は入内に相応しい年齢になるまで時間はかかる。それを兄は心から歯がゆく感じていた。

 兄は怒りが抑えられず部屋を飛び出した。


 静かになった部屋に私と父が残された。こうして父と二人で話すのは久しぶりであり、またことの内容は穏便に済ませられる内容ではなかった。

「私……、風早中納言様のことが好きです」

 きっと叱られる。暗い塗籠に閉じ込められるかも。

 私は恐縮しながらもそれを言った。

「そうか……、なら仕方ない」

 父は深くため息をついた。思ってもいない言葉に私は思わず父を見つめた。よく見れば以前よりも皺も白髪も増えていた。

「姫よ。昔の話をしようか」

 父が母と出会った話を。当時権力を握っていた大臣家の跡取りであった父は宮家の姫を正室に、身分高い姫を側室に迎えた。それにより他家と強いつながりを持ち、それらが生んだ娘は将来中宮として大事に育てられていた。父はそれにおおいに満足していたが、ある日中流貴族の姫であった母に出会った。若かった父は母に夢中になり、すぐに邸へと側室として招き入れた。しかし、母にとってそれは地獄であった。周りは大貴族出身の側室ばかりで妬みと嫌がらせを受ける日々についに心を病んだ。病んだまま私を生んだという。

「あの時、姫の母を守るべきであった。しかし、できなかった」

 それをすれば側室たちの自尊心は傷つき一層当たりがひどくなるだろう。母を実家の邸に戻すことで事を納める他なかった。

 しかし、側室たちから受けた屈辱はかなりのものであり母は彼女らを見返す為に私に厳しい妃教育を施していた。

「お前を妃に据えるということも生前母と結んだ約束だ。あの時守れなかった分せめて願いだけでも叶えようと思った」

 ちょうど当時の東宮――現帝の弟君の年齢に合う姫は私だった。父は母が病床についたころに白川邸を建てるように計画した。

「しかし、お前がまさか風早中納言になぁ」

 父は静かに落ち着いた口調で言い、私はますます恐縮してしまった。都からの中傷など気にしない。兄からの罵倒もある程度耐えれた。ただ、父のこの言葉は酷くこたえた。

「期待に反して申し訳ありません」

「いや、いいのだ。今度はお前を守ろう」

 母を守れなかった分、私を守ると父は言った。私はそれに涙を流し父の言葉に感謝した。

 しかし、この一件から風早中納言は私のもとへ来ることはなくなった。噂では病にかかったという。

 私は心配になり見舞いの文を出すが返事がかえってこなかった。代わりに風早の君が直接私を訪ねてきた。初めてであった風早の君の眼は冷たく鋭かった。これをみて私は彼に快く思われていないというのをよく理解した。考えなくてもわかることである。私と風早中納言との醜聞で風早の君にも色々影響を与えたことであろう。


「今後、父に会うことは許しません」


 それだけ言い風早の君は立ち去った。

 そしてほどなくして風早中納言が亡くなられたという話が耳に届けられた。


 ◆◆◆


 目を覚ますと土のにおいが鼻についた。白川殿はおもむろに顔をあげる。

 立ち上がろうとしても足に痛みが走り思うように立てない。みれば右足首が腫れていた。

 白川殿は上の方を見つめた。

 崖の高さはそう高くはない。大人の身長にも達していないだろう。だが、立つことが叶わず上で這い上がることは難しかった。

「どうしよう」

 空は先ほどまで晴天であったが、雲が増え光が消えようとしていた。


 これは雨が降る。

 そう思っていると予想通り雨が降ってきた。

 私は袿を頭に被り少しでも雨から身を守った。少しずつ水を吸い込んできて手足が冷たくなってくるのを感じた。

 どうしてあの時風早中納言の姿を追いかけてしまったのだろうか。それともあれは本当に中納言だったのだろうか。

 自分の寂しい心と不安な心が見せた幻だったのだろうか。

「私、本当にダメね」

 別れを言うと決めたのに彼の幻影を追いかけるなど。どこまで未練がましいのだろうか。

 一人雨に打たれながら心細い自分自身を抱きしめた。


  ◆◆◆


 雲行きが怪しくなり寺の中で雨宿りしよう。そう白川殿に声をかけようとした夏基は墓場に戻った。誰もおらず不審に感じた。

 どこに行かれたのだろうか。

 まさか風早中納言の後を追い身投げでもしてしまったのだろうか。

 それを感じるとぞっとした。

「白川殿っ」

 彼女を呼び、墓の周辺を探った。林の中に入り声をあげ彼女の名を呼んだ。

 ふと足をとめ夏基は声をあげるのをやめた。雨の音の中、女性の泣き声が聞こえてきた。


 白川殿……。


 その声の方へ近づくと地面が急になくなっており、崖となっていた。

 下の方をみると白川殿が身に着けていた袿がみえた。そこかた声が漏れているようである。

 崖はそう高くない。簡単に降りれられる。

 夏基はゆっくりと崖を降り、白川殿の傍によった。

「白川殿」

 横からそう声をかけると白川殿は驚いた表情で夏基を見つめた。

「もう大丈夫ですよ」

 そう笑いかけると白川殿はぐしゃぐしゃの顔で夏基にしがみついた。

「さぁ、寺に戻りましょう」

「うん」

 幼い少女のように白川殿は頷いた。はじめてであった姿とは全く違う。これが本来の彼女の姿なのだ。

 そう実感し夏基は彼女が自分の傍から離れないように強く抱きしめた。

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