第5話
あれから夏基は花をみつけるや白川殿に文をしたため花を贈るようになった。
「姫様」
女房の柚木によって持ってこられた花と文をみて白川殿は大きくため息をついた。文の内容をみては表向きは新婚なのだから放置するわけにはいかない。早めに返事を書かなければいけない。
「柚木、適当にお願いね」
この時は考えるのも面倒であり女房に投げ出した。
「夏基様にご自身で文をしたためたらいかがですか?」
「必要ないわ。私の字は下手ですし、返事もそっけないものしか思いつかないわ」
向こうで白川殿の返書を野次馬でみている者がいないとも限らない。ある程度の体裁は整えておきたい。その辺は柚木の方が上手だ。
「こんなにまめに文を頂いているのです。少しは打ち解けてみてはいかがですか?」
それに白川殿は不機嫌そうに顔をしかめた。
「あなた、私の何をみてきたの?」
「姫様はまだ若いのです。年頃の姫として幸せを掴んでいただきたいのです」
どうやら白川殿が夏基と添い遂げることが一番良いと考えているようである。それに白川殿は笑って答えた。
「柚木、私は幸せだったわ」
風早中納言という恋人を得て、短い間ながらも想いを通わせて白川殿は本当に幸せな気分を味わっていた。父子程の年の差はあれど本当の夫婦であった。
世間から白い眼でみられようと彼とともに過ごし笑うことが白川殿にとっての幸せだったのだ。
「ですが、姫様」
くどいわと白川殿は言い、さっさと部屋の奥へと消えてしまった。それに柚木ははぁと深くため息をついた。
仕方ないと夏基への返書は柚木が書くこととなった。
◇◇◇
返事が届いたのをみて夏基はすぐ落胆した。いつも通り女房の書いたものだから。その落ち込みようをみて彼方は何も言わずその場を去ろうとした。
「待てよ。何か言えよ」
白川殿の為に誠意をつくせと言ったのは彼方だったと夏基は思い出した。それに困ったように彼方は頬をかいた。
「いや、……自業自得だなって思って」
その言葉にますます夏基は落ち込んだ。
彼方の言う通りだ。
今まで彼が流した浮名、泣かせた女の数は多い。その上初夜に夏基が白川殿にかけた言葉は最低なものであった。
それがちょっと顔をみて話すようになっての手のひらを返しよう。ふざけるなと思うのが普通であろう。
いや、夏基の容姿であればそれでもと歓喜する姫はいるだろう。
しかし、残念なことに白川殿は夏基の美貌など気にかけていなかった。風早中納言との恋物語をみるとまだ彼のことが忘れられないようであった。世間では醜聞として扱われようと白川殿が愛した殿方は風早中納言ただ一人なのだ。
ただ悲しいくらい世間の目は冷たいものだ。
父程年齢の違う男を陥れた悪女の癖に美男子の夏基を夫にゲットできてと恨み言を吐く女が多いという噂である。夏基の遊びがぴたりとやんだのでさらに白川殿への風当たりは強くなった印象である。
彼方としてはどちらかといえば白川殿の方が不憫に感じていた。
同時に目の前の友人の豹変ぶりを見るに本当に白川殿にほの字のようであった。ここまで一喜一憂する姿ははじめてであった。
「よし、もうひとつ誠意を見せるんだ」
「どうやって?」
「それは今まで関係を持った女性すべてに別れの挨拶をしてくるんだ」
今までそれとなく会わずに疎遠になってきたすべての女性に改めて別れを告げる。今までの縁を全て切るということ。
それに夏基はうーんと頭を抱えるが、相手はまだ自分を遊び人と思い込んでいる。彼女たちとは一切の関係を切り白川殿一筋だとわかるようにしてやるのだ。
「そ、そうだな」
貴族の男は縁を持った女性とはなぁなぁのまま会わなくなってそのまま途絶えるということは珍しいことではない。だが、このままでは自分は白川殿とは本当の夫婦になれない。
腹をくくるしかない。
◆◆◆
本を読んでいるとすでに日が赤くなっているのに気づいた。白川殿はそっと廊へ出て空の赤をみつめた。
これを見るたびに風早中納言は今宵も来てくれるだろうかと考えていた時を思い出す。彼の優しい笑顔を迎えるのは何よりも幸せだった。
だが、もう来てくれない。
もういないのだから。
何度も理解しているはずなのに、現実をつきつけられると胸の奥が重苦しくなった。
ずいぶんの間廊に出ていたと思われる。
赤かった空は少しずつ闇へと変わり、小さく輝く星がちらちらと見えるようになった。
ああ、やはり来ない。
肌寒さに震えながらも来ない男のことを思うと白川殿は切なく感じた。
「春先とはいえ夕は冷えます。中へ入りましょう」
そう声をかける者に白川殿は驚き振り返った。そしてさらに驚いた表情を浮かべた。
「それは、どうしましたか?」
そう指さす先に夏基の左頬が真っ赤に膨れていた。それを指摘され夏基は恥ずかし気に笑った。
「いやぁ、昔の恋人に……」
柚木が水で冷やした布を持ってきてくれた。それで頬を冷やしながら夏基は話した。
今まで関係を持った女性一人ひとりに別れの挨拶をしてきたという。まだ全員ではないが。
白川殿に会う前に別れを告げた相手に扇で叩かれたのである。
「それは」
たいへんでしたねと言おうにもそれは合った言葉か悩むところであった。
「何人かは怒られるかは覚悟してました」
夏基は苦笑いして言った。
「何故そのようなことを」
「あなたを妻にしたから」
夏基は白川殿の顔近くまで近づきそう答えた。綺麗な男の顔に、耳に響く声に白川殿は思わずぞくりとした。
なるほど。多くの姫君が彼に堕ちたのは理解できなくもない。
白川殿はそっと後ろに下がろうとするが右手をとられてしまう。
「何故、ほとぼりが冷めれば自由に色んな姫のもとへお通いになればいいではないですか?」
本来この結婚は醜聞により貰い手のなくなった自分を社会的に処理するためのもの。白川殿が正室の座についたままであれば夏基はこの邸を自由にしていいし、好きに女を囲ってもよい。邸の主人である自分がそう許可しているのだから。
当初の夏基もそのはずだった。
妃になる予定であった鈴姫に手を出そうとしたことで罰せられ、官位を維持するために仕方なく東雲大臣の要求を呑んだにすぎない。
確かにはじめはそう言っていたはずだ。
「私は、お恥ずかしいながら今まで本気の恋というものをしていませんでした。満たされない想いを重ね日々をやり過ごす日々、あなたとの婚儀もその見境のなさが災いしてのこと」
夏基は今までの自分のしてきていたことを正直に話し自分の浅ましさを恥じた。
「しかし、今私はあなたへの想いで満たされています。まだあなたが他の方をみているとわかっていても愛しく感じ、こちらへ向いて欲しいと考えあぐねる日々。どうすればいいか悩み、まずは信じられる男にならなければと考えました」
そのために何をすべきか。
今までの自分のしてきたことを清算すべきだと思い至ったという。
「扇で叩かれる覚悟もおありでしたか?」
「はい」
「……ふ、色男が台無しですね」
白川殿は笑って揶揄した。彼女の笑みははじめて見た気がする。
その顔が愛らしくうつり夏基は息を呑んだ。白川殿の両肩に手を添えた。顔が近づきもう少しで唇と唇が触れると思ったところでそれを遮ったのは白川殿の袖であった。
「まだ、私を認めてくれませんか」
無論、この程度で想いが通じるとは思ってもいなかったが。
「ごめんなさい」
白川殿は首をふるふると横に振り謝った。
「私がそれに応えられないだけです」
「それだけ好きだったのですか?」
かつての恋人の風早中納言のことが。
「あの方は私の世界を変えてくれました。簡単に忘れられません」
「そうですか」
夏基はようやく白川殿の肩を放し、距離を置いた。
「では、夫婦は無理でもまずは友として一緒に過ごさせていただけませんか?」
その言葉に白川殿は首を傾げた。外見はすでに夫婦であるが、中身はそれに伴わない。ではまずは友としての絆を深めようと夏基は提案した。
「そりゃ、できることならもっと夫婦らしくしたいです。ですが、あなたの中の私はまだ小さい。それに甘んじるしかありません」
それでいいの? と白川殿は上目使いで夏基を見つめた。夏基としては辛いものである。だが、耐えなければならない。その間自分はあくまで白川殿一筋で過ごす。それが自分が考えた誠意のひとつである。
「もちろん風早中納言に目劣りしない程になった時は私も堂々とあなたを愛させていただきます」
それは一生ないこと……のはずだ。
白川殿はそう口にしようと思ったが、自分の口が思うように動かなかった。
「そうだ。いっそ兄か弟と思ってくださっても構いませんよ」
そうすれば近しい間柄になりやすいと夏基は提案するも白川殿は首を横に振った。だが、彼女の表情が柔らかくなっていたのを夏基はみた。
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