第4話
どうやら自分は白川殿に惚れてしまったらしい。
今更ながら夏基は改めて呟き、どうしたものかと悩む。
初日の失言により彼女との関係はよくない。
何しろ仮初の夫婦になろうと提案したのは夏基なのだ。
白川邸に到着し、いつもの通り女房に案内される。
「ようこそお越しくださいました」
部屋に入ると白川殿が出迎えてくれた。だからといって歓迎されているというわけではない。ただ形式的なものである。口調もどことなくよそよそしく感じる。
「これを」
そう言い差し出したのは菫草。爽やかな甘い香りがして庭の桜とは違う春を感じさせる。
それに白川殿は首を傾げた。
「すみれは嫌いかな」
ようやく自分にくれるものだと知り意外そうに彼女は見つめた。
「いいえ。好きです」
まさか花を贈ってくれるとは思わなかったので少し面食らってしまった。
「柚木」
部屋の外に控えていた女房を呼ぶ。花瓶を持ってこさせそれに生けた。その様子から花は好きな様子である。
夏基はじっと白川殿を見る。横顔から見ても本当に可愛い姫で瞬きをすることすら惜しく感じる。
(これが私の嫁なんだな)
改めて考える。
一ヶ月前は四十上の爺とねんごろになっていた姫など願い下げと思っていた。だが、今は違う。
どうやったら溝を埋まるのかと考えてみる。
花を贈るとどういった反応がくるだろうか。
別に嫌いではない様子で大事に生けてくれた。
「ありがとうございます」
白川殿は改めて夏基に礼を言う。夏基はそっと白川殿の方に近づき耳元で囁いた。
「つばなぬく あさぢがはらの つほすみれ いまさかりなり わがこふらくは」
古い歌であるが純粋な恋の歌である。
意味は浅茅が原のすみれは私のあなたへの想いを表すようにいっぱいに咲いています。
少し捻ろうとしたが、変に飾らずにそのまま伝えてみた。
夏基はおそるおそる白川殿を見る。
白川殿は恥ずかしげに俯いていた。
殿方に直接恋の歌を囁かれるのには慣れていない様子である。
そして夏基の予想通りの効果があったようだ。
(ああ、可愛い)
夏基の趣向により頬を真っ赤に染めている彼女は本当に可愛かった。
このまま腕(かいな)に抱き寄せてしまおうと思った。
しかしすぐに彼女はするするとすり抜けてしまった。
「素敵ですね。夏基様のような殿方に言われて喜ばない姫はいませんよ。ですが私で試さないでください。心臓に悪いので」
そう苦笑いして彼女は交わす。
どうやらただの遊びだと思われたようである。
違うと言いたかったが、彼女は聞こうとはしない。そして、用意していた酒で夏基をもてなした。
しばらくして白川殿はうとうとしだした。眠たそうに船を漕ぐ。
それでも夏基をもてなさなければと必死に起きるその様子はとても可愛くてつい頬が緩んでしまう。
「眠いのかい?」
そう聞くと白川殿はばつの悪そうな顔をした。
「そうだね。そろそろ寝よう」
「では、おやすみなさいませ」
白川は頭を下げ、立ち上がった。例の通り別の部屋で寝るようである。
「待ってくれ」
夏基ははたっと白川殿の裾をつかむ。どうしたのだろうかと白川殿は首をかしげた。
「私たちは夫婦なのだし、別に構わないだろう」
そう言われ白川殿は驚いた風であった。
当然である。
初日はあのように冷たく言い別々で寝るのをよしとしていた男がこんなことを言うなど思いもよらなかった。
「……あと一月お待ちになってください」
白川殿は困ったように呟いた。
何が一月なのだと夏基は尋ねる。
「一月後、鈴姫の入内が話が出ます」
それを聞き夏基は驚いた。鈴姫の入内はまだ聞かなかったがようやくその頃に全ての話がまとまり公表される。
「そうすれば都の目は鈴姫の入内に向きます」
今が盛りの内大臣家の姫の入内である。壮大に執り行われるであろうから世間の注目の的となるのは間違いない。
「そうすれば兄も、世間も、あなたの行動を気に留めません。自由に他の女性の元へ通えるようになります」
それを聞き夏基はああと合点した。
夏基がこのようなことを言うのは世間体や内大臣の目があり前のように女遊びができない。だから白川殿で適当に遊んでおくかと思われてしまったのだ。
(ひょっとして私は白川殿からの評価は悪い?)
そのとおりである。
今までの自分の行いを省みれば信用のならない男と思われても仕方ない。
「いや、私は……」
「そうでなくても、私はあの方以外とは……まだ嫌です」
白川殿ははっきりと言った。亡き恋人風早中納言以外の男とは結ばれる気はないと。
そう言われると夏基はむっとした。こんなときにも昔の男を想い他の男を拒絶されるとは。
それが嫉妬と呼ばれるものだと本気の恋を知らなかった夏基は知る由もない。
「そんなに風早中納言がよかったのか」
白川殿は何も応えない。ただ無言で裾を掴み引っ張る。そうするとするりと夏基の手から裾が逃れていった。
そして彼女は部屋の戸へと急いだ。出る間際に一言かける。
「おやすみなさい」
ぱたんと戸が閉じる音がした。
それを見て夏基は面白くなさげに舌打ちした。部屋の寝所で大の字になって寝転んだ。
(やはりまだ好きなのか)
まだかの君が死んで一年も経っていないのだ。彼女としては夏基を迎えてしまったことは風早中納言への裏切りのように感じて苦しく思うだろう。
「それでも、私が夫なんだ」
夏基は改めて口にした。
風早中納言と白川殿の関係は不倫に近いものである。しかも、親子程の年の差は世間では異様に取られる。
例えすでに三日夜の餅を食した間柄だっとしても誰も二人を夫婦とは見ていないだろう。兄の内大臣ですら認めていないはずだ。
夏基は不祥事から発生したこととはいえ白川殿の正式な夫となった。
それを誇示してもっと彼女に迫ることができたはずである。
だがそうしなかったのは彼女がどういう反応をするかと想像してしまったからだ。
怒るか泣くか。泣かれたら困る。
泣かせたくない。
そう思うと強く出れない。
(どうやら彼方の言う以上に白川殿に夢中になってしまったようだ)
夏基ははぁとため息をついた。
今まで数多の女性と恋の駆け引きをしてきた。だからこういうのは得意だと思っていた。
だが真に惚れた女にはただの無知な男に成り下がってしまうようだ。
こんな自分を情けないと思いつつも、何とか彼女との溝を埋めて生きたいと願う気持ちもあった。
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