第5話 反射

 供述は一度きりでは終わらない。

 誰かが語った言葉は、複製され、引用され、正しさの形に整えられていく。

 証言とは本来、閉ざされた部屋で交わされるべきものだ。

 だがいま、供述は開かれたプラットフォームで反射し、意味を持たないまま価値だけが増幅している。

 私は、夜の街を歩いていた。

 すべてが記録され、再構成され、やがて私の足音も誰かの物語になっていくのだろう。

 ビルの壁面に映し出された広告パネルが、突然、更新を始めた。

 「供述された言葉を、あなたも聞きましたか?」

 通りすがりの人々は、気にするふうもなくスマホを眺めたままだった。

 スクリーンの光は彼らの顔を照らし、その陰を地面に落とした。陰の数より、光の中にいる人数のほうが信用される、それがこの街のルールだった。

 家に戻ると、メールが届いていた。

 差出人は「供述管理AI」。件名は「あなたの証言について」。

 開いた瞬間、画面に自分の名が浮かんだ。

 ──〈供述者:あなた〉〈日時:現在〉

 中身は空白だった。ただ一行、下にこうあった。

 「書き始めてください。」

 私は数秒、動けなかった。

 語る義務を与えられる瞬間ほど、沈黙の価値が高まることを、私は昔知っていた。

 だが沈黙を選んだはずの者の声が、今日もどこかで共有されている。

 ニュースAIが、朝の更新でこう述べた。

 「安堂律の供述は、複数の出典から成り立っています。」

 コメント欄にはたくさんの反応が並んだ。

 〈本人が語ったのかAIが語ったのか、もはや関係ないね〉

 〈内容より“供述を行ったこと”自体が重要なんだよ〉

 〈誰かが見た景色があれば、それは事実になる〉


 それを読んだとき、私はもう分かっていた。

 供述とは、自分の身の潔白を証明するためのものではない。

 自分が“存在していること”を、誰かに伝えるための装置に変わってしまったのだ。

 夕方、またメールが届いた。今度は動画ファイルが添付されていた。

 再生すると、取調室が映り、安堂律が椅子に座っていた。

 彼は何も話さない。マイクは沈黙を拾っている。

 それでも文字起こしの字幕が動いている。

 「私は話した。私は話していない。」

 声は入力されていないのに、記録は進んでいく。

 字幕は揺れ、文は歪み、やがて意味を超えて文字列の波になる。

 そのとき気づいた。

 反射しているのは言葉ではなく、声の形そのものなのだ。

 誰が語ったのかが問題ではなく、語りが存在したという痕跡だけが、宗教のように崇められている。

 安堂律の声は、誰かの正義のために使われ、また誰かの利益のために歪められていく。

 彼の言葉は、もう彼のものではなかった。

 そして私の言葉も、もう私のものではない。

 夜更け、私はメールの下書き欄を開いた。

 画面には先ほどの一文が残っている。

 ──「書き始めてください。」

 その下に、無意識に打ち込んでいた。

 ──「これは供述ではない。反射です。」

 指が震えた。消そうと思ったが、既に自動保存が完了していた。

 私はスクリーンを閉じ、窓の外を見た。

 街灯の下で誰かが立ち止まり、スマホを耳に当てていた。

 何を話しているのかは聞こえない。

 だが、彼が語るその声が、明日のニュースを形作るのだと、私は知っていた。

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