第5話:見えない境界線の崩壊
第5話:見えない境界線の崩壊
王都の喧騒から遠く離れた、霧深い辺境の村。 そこには、かつて伝説の武人が開いたと言われる古の修行場『蒼天閣(そうてんかく)』があった。しかし、今やその姿は見る影もない。屋根の瓦は剥がれ落ち、板張りは湿気で腐り、何よりも村人たちの心から「自らを鍛える」という灯火が消えかけていた。
「……ここも、封印局の毒が回っているね」
ハスダは、苔むした石段に立ち、鼻腔を突く「停滞」の匂いを嗅ぎ取った。カビの臭いと、放置された魔導具が放つ錆びた鉄の臭い。それは、場所の不便さを理由に、公的な支援から切り捨てられた地の末路だった。
「ひどい……。王都の道場があんなに輝いているのに、ここではまだ、百年前のボロボロの巻物で手続きをしなきゃいけないなんて」
ミナが、破れた障子から中を覗き込み、悲しげに肩を落とした。 修行場の中では、数人の老いた村人が、冷たい床に座り込み、黄ばんだ書類と格闘していた。
「おい、あんたら。王都から来たのか? 無駄だ、ここはもう終わりだよ」 村長らしき老人が、力なく首を振った。 「修行の許可を得るには、一ヶ月に一度来る巡回官に署名を貰わなきゃならん。薬草を買いに行く時間を削って、丸一日ここで待つ。……そんな不便な真似、誰も続けられやせん」
「不便、か。それは『場所』が悪いのではない。繋がっていないことが悪いんだ」
ハスダは、背負っていたバックパックから、小型の『ハコモノ・コア』を取り出した。それは、王都で使っているものの改良型、辺境の微弱な魔力でも駆動する「分散型」の核だった。
「社長、設置完了です!」 ギルが屋根から飛び降り、親指を立てる。 「村の古い祈祷塔をアンテナに転用しました。これで王都のメイン・システムと、この蒼天閣が直結します!」
「ハスダ、何をしようとしているの?」
「境界線の破壊だよ、ミナさん」 ハスダは、端末の画面を鋭く叩いた。 「今まで、良質な指導や健康への機会は、王都という中心に独占されていた。地方は、その『距離』と『手続き』の壁に阻まれて、取り残されてきたんだ。……今から、ここを王都のど真ん中と同じ、最高水準の聖域(ハコ)に変える」
ハスダが起動ボタンを押し込んだ。 その瞬間、蒼天閣のボロボロの柱を、青い光の筋が駆け抜けた。 バキバキと音を立てて、腐った木材が魔力で補強され、空間の密度が劇的に高まっていく。
「な、なんだ!? 床が温かい……! 腰の痛みが消えていくぞ!」 村人たちが驚き、立ち上がった。
「これを見てください」 ミナが村人たちに、安価な魔導水晶(タブレット)を配り歩く。 画面には、王都の第一線で活躍する指導者の姿が、等身大のホログラムとなって映し出されていた。
『おはよう、蒼天閣の諸君! 今日は腰痛を根治する「呼吸法」から始めようか!』
王都の指導者の声が、辺境の静寂を震わせる。 村人たちの目が、驚愕と希望で大きく見開かれた。
「王都の先生が……目の前にいるみたいだ!」 「わざわざ山を越えて行かなくても、ここで教わることができるのか?」
「それだけじゃない」 ハスダが、村長の手を取り、水晶の画面に触れさせた。 「署名はもういらない。この画面に手をかざすだけで、あなたの体調に合わせたメニューが組まれ、薬草の配布記録も自動で行われる。……距離という境界線は、もう消えた」
その時、ハスダは自分の指先が、微かに震えていることに気づいた。 それは、システムが正常に動作した達成感ではない。 「繋がり」がもたらした、圧倒的な生命の胎動への感動だった。
かつてコンサルタントとして、冷たい数字の格差を分析していた自分。 「地方はコストに見合わない」と切り捨ててきた論理。 それが今、目の前で、孫と手を取り合ってスクワットを始めた老人の笑い声によって、完膚なきまでに打ち砕かれていた。
「……ハスダ」 ミナが、隣でそっと囁いた。 「見て。みんな、さっきまであんなに沈んでたのに。……場所がどこかなんて、関係なかったのね。きっかけさえあれば、人はどこでだって輝ける」
「ああ。健康は特権じゃない。誰もが、どこにいても、一膳のお箸を並べるように享受すべき、当たり前の権利なんだ」
ハスダは、蒼天閣の開かれた扉の向こうに広がる、深い緑の山々を見つめた。 今この瞬間、このシステムを通じて、王都と辺境の境界は崩壊した。 魔法の網は、国中の「ハコ」を繋ぎ、巨大な健康の星座を描き始めている。
「……おい! 巡回官だ! 封印局の連中が来たぞ!」
村人の一人が叫んだ。 山道の下から、格式張った馬車と、重厚な鎧の音が近づいてくる。 だが、ハスダは逃げるどころか、不敵な笑みを浮かべて彼らを迎え撃つ準備をした。
「ちょうどいい。彼らにも見せてあげよう。場所の制約を超えた、民主的な宇宙(ハコ)の力を」
「ハコモノ・ネットワーク、全域同期開始!」
ハスダの声が、辺境の霧を晴らしていく。 境界線が崩れた後に広がるのは、もはや「中央」も「地方」もない、誰もが等しく光を浴びる、新しい世界の景色だった。
第6話「偽りの対面儀式」へ続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます