プロローグ「背信は潮騒の彼方に」#3
メキシコとアメリカを隔てる国境の、5mはあるであろう鉄柵を軽々と飛び越えるカヤノ。その手には赤々と艶めくルビアの心臓があった。
緩衝地帯への侵入は即ち不法入国を意味する。常日頃から目を光らせているアメリカ側の国境警備隊に、あえなく見つかってしまった。
「おい、止まれ! 何してる! 背を向けながら柵の方に寄れ!」
車両から降り、拳銃を抜いて近づいてくる二人組に対し、カヤノは中指と人差し指を立てた。すると二つの頭部は地面に落ちたスイカのように破裂。脳漿を撒き散らしながら絶命した。
訳なくアメリカへ渡ろうとしたそこに、数発の鉛玉が撃ち込まれる。
全弾指で挟み止めるカヤノは溜め息混じりで射線を辿った。
「これはまたこの世で最も逢いたくない人が現れましたね……」
先の国境警備隊から発砲されたものではない。では誰から撃ち込まれたものなのか。
「監視してたら看過できない修羅場を目撃。驚いて思わず出てきちゃった」
「喧嘩別れしたわけではありませんよ。〝
「あちゃー。素性はバレてたか。これでも一応諜報部門のトップはってるんだけどな、私」
身綺麗な黒のパンツスーツに紫のカラーネクタイと手套。ふわっとさせたセミロング程度の明るい茶髪と濃褐色の瞳を持つ彼女。構える右手にはH&K USPコンパクトがあった。また左手には別にワルサー・カンプピストルが握られており、左腕を思い切り振り上げるとそこで引き金を引いた。
頭上高く発光。信号弾が炸裂する。
「それに何の意味があると言うのです? お仲間を呼ぶには電話一つで事足りるかと」
「まぁ、これはあくまで保険かな? それよりさ。
「よくご存知で。いつから尾けてました?」
「私が産まれるずうっと前から」
「人間の一生は短い。訊きますが、貴方のその人生というのは、何のためにあるのです? わたくしたちのような人ならざる者を監視し、場合によっては排除する。わたくしには至極身勝手なご都合主義の大義にしか思えませんが」
「私たちが剣を振るう理由は一つ。人間の信仰心を守る為。それが何世紀も絶えず続いてる聖堂騎士団の在り方。吸血王の監視は代々特に優先されてきたの。それもそうでしょ。血分けで眷属は増やし放題。おまけに不死だから殺す方法もない。本人がその気になれば、人類史を終わらせることだってできちゃうんだから。世界でただ一人、一等監視対象を超えた〝例外的特別監視対象〟に指定されるのも無理ないわけ」
「その貴方たちがつけた吸血王というあだ名、お気に召さないようでしたよルビアさんは」
「お嬢様、じゃないんだ。何だかもう他人みたいな言い方。アンヌマリー家に120年近く仕えてきたのに冷たーい」
相対する彼女はカヤノが何者か知った上で尚、飄々としていた。
「心外ですね。決して裏切ったわけではありません。元の鞘に収まっただけです。そんなことより良いのですか? 目的はわたくしの排除と心臓部の奪取。無駄話をしに来たわけではないのでしょう。史上最年少で騎士団長に任命された天才、第八騎士団騎士団長の
「へー。そんな情報も持ってるんだ。どっからか漏れてる?」
「人間の行動に全くの痕跡を残さないというのは不可能な話です。ましてや敵対する組織となればなおのこと、こちらからも調べますよ。それは念入りに、徹底的に」
「あっちゃ、こりゃ相性最悪。なかなか手こずりそうな相手かも」
「それほどまでにデータを与えたくありませんか」
「情報は例えるなら小石。どの小石をどう動かせばいいか、折と転がし方を知ってさえいれば、山をも崩せるし、石垣も築ける。これ以上の武器は他にないでしょ。時間かけるほど不利になるなら仕方ないか。プランBに変更。手土産は一つになっちゃうけどまぁその心臓部だけを全力で取りに行くからさ。本当だったら貴女自身の首も勘定に入れてたんだけど、そこは命拾いしたってことで。寛大な私に感謝してよね」
「人間風情に出来るものならどうぞ。奪い取ってみせてください」
戦闘態勢に入るリツカ。両手の拳銃を捨て、虚空を握りしめた。刀剣に見受けられる柄が掌中に顕現する。
まるで何もなかった空間から引き抜くようにして直刀状の刀身を露わにさせた。
「それが騎士団長の証〝
態度には示さずとも、俄然警戒心を強めるカヤノ。
「当ったり。それとこれもね」
ジャケットから覗かせる、腰からぶら下げられた幾つかのアンティークキー。その一つを取り、リツカは見せつけた。
「聖剣自体、魔力が循環してるから十分だろうけど、あくまで魔力転換装置であって魔力増幅器。ただでさえ不死身ってだけでチートなのに出し惜しみなんてしてられないから、こっちの〝
そう言ってリツカは聖剣の柄がしらに宝鍵の一つを深く差し込んだ。
「べらべらと敵であるわたくしに説明するのは、余裕というやつですか。それとも抵抗してこないとでも?」
「余裕とは少し違うかな。知られたからってどうって事もない、戦局に差し障りのない情報を開示しただけだもん。どうせそっちは聖剣の仕組みも理解出来なきゃ、魔術もろくに扱えないわけだし。でも、こっからはナイショ」
リツカが聖剣を一回転させる。
「
軌道にあわせて円が描かれ、出来上がったその中心へ両手を突き入れた。
「……っ!?」
するとカヤノの肩は、目には見えない何かに掴まれ、砂地に思い切り抑えつけられた。それも逃げようもない物凄い握力でである。
「殺せなくても、動きを止めれば問題ないよね」
圧力のかかる鎖骨から肩甲骨にかけて、みしみしと骨の軋む音が走る。
「術式はあらかじめ宝鍵に組み込んであるから、詠唱破棄してあとは聖剣で解放するだけ。それもだけど、ただ首を刎ねるモノじゃないってこと」
「……知って、いますよ。そんなことくらい……ただこの術式は初めて、見るものですから……」
「こっちも知ってるだろうことしか喋ってないもん。吸血王の眷属だからって結構身構えてたんだけど、もしかして拍子抜け?」
「……っ!」
続けざまリツカはカヤノの右腕をクリアマヌスで掴み、握り潰した上で心臓部を手放させた。
カヤノは冷静沈着に術式の攻略法を考える。
「『森羅万象、全てのものには霊力や魔力といったものが宿り、流れている。本来目に見えないものではありますが、自然界に存在するあらゆる霊力、多かれ少なかれ人間が持つ個々の気化した魔力を少量ずつ拝借して、形を与えるのがこの宝鍵に組まれた術式。その解釈で間違いない。ですが、そう考えるとここにはヤシの木が等間隔で植樹され、ましてや
クリアマヌスから逃れるため、あろうことかカヤノは自由が利く身体のみを180度後転。肩の関節を外し、骨を自ら砕き、最後に両腕ごと引き千切った。
「嘘……そこまでする!?」
「行きなさい!」
捨て去った左腕がリツカの首にしがみつく。
「っ……!!」
「
見るとすでにカヤノの両腕は新しく生えてきており、数秒も経たずして与えたダメージも無に帰すのだった。
「こ、このままじゃ、さすがにやばっ…………なーんてね」
「!??」
瞬間、カヤノの右上半身を真紅の斬撃が切り裂いた。
「これは……確か
「……伽耶乃にこれ以上、人を殺して欲しくない……!」
柵向かいには大量に出血するルビアの姿があった。
派手に噴き出す血飛沫。再生を図るもルビアの血液が切り口で固まって阻害されてしまう。
「さっきの信号弾。まさかルビアさんに居所を伝えるための……」
カヤノはリツカの首を絞めていた左腕の力を無くし、自らも跪く。
「そこんとこ用意周到なの」
「お前……」
カヤノがリツカを睨みつけると、今度は柵向かいのルビアの方へと振り返った。
「お前もだ! あのままくたばっていればいいものを。この……絞りカスがぁ!」
その間にルビアの心臓部を回収したリツカ。
タイミングを計っていたかのように、アメリカ側からオフロードカーが到着。第八騎士団副団長が後部座席のドアを開けてリツカをピックアップし、そのままアメリカの領地へ渡る。
「これが吸血王の心臓……」
副団長が好奇心に駆られ訊いた。
「確かに通常の吸血体とは違くて、正式な血分け手順を踏んだ眷属の完全排除は無理。まぁ、手ぶらじゃないからじいちゃんも文句言わないでしょ」
「一度本部へ帰還しますか?」
「ううん、進路変更はなしで日本に直行。寄り道してたらその分タイムロスになっちゃう。報告は後で私が入れておくから問題ないとして。それより今は一刻も早く、彼の身柄を確保しないと取り返しのつかないことになる」
リツカは次の任務のため、休みなくサンディエゴ国際空港へと向かう。作戦展開地域は東京都に位置するとある離島であった。
「また何でこんな辺鄙なとこに住んでるんだか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます