プロローグ「背信は潮騒の彼方に」#2

 翌日、同所。比較的事件の少ない真昼間にも関わらず、この日は警官隊を乗せた警察車両が街中の至る所に配備されていた。それもそのはず。全ては同僚の痛ましい遺体が発見されたからに他ならない。

 厳重警戒態勢が敷かれるなか行われるパトロールの様子を、見晴らしの良いデッキから静観している二人組が居た。それも場違いな、容姿だけで言えば年端のいかない少女たちであった。


「ピリピリしてるのが見てるこっちにまで伝わってくるわね。まぁ仲間が酷い目にあえばそれも納得だけど」

「ざっとですが調べた限り出回っているアンプルの数は優に1000を超えます。全てを追うのは不可能かと」

「ふん。それを聞いて、はいそうですかって諦めるわたしじゃないわ! 出所は必ず抑えてみせるんだから。そうじゃなきゃ、なんのためにわざわざロンドンからメキシコまで来たんだか分かんないじゃない。ビーチが近いからって泳いでる暇なんてないわよ伽耶乃」


 カヤノとそう呼ばれた彼女は顔色一つ変えずして恬淡と応えていった。


「念のため、お嬢様の水着は持ってきておりますが、本当によろしかったのですか? せっかくの遠出ですし」


 ここぞとばかりにすっとビキニタイプの水着を取り出す。


「用意がいいのは相変わらずね……ってなんでチョイスが横を結ぶタイプの布面積小さめなやつなのよ! 完全に浮かれ気分じゃない!」

「でしたら、硬派なこちらはいかがかと」


 次にスクール水着を見せつける。


「メキシコのビーチの景観に全く合ってないわね! 第一それに性的趣向を見出すのは日本人だけだから! 着るとしても学校のプールとか、例のプールとか」

「冗談ですよ、お嬢様。ノリがよろしくてつい」

「まぁ、でも全部が全部終わった後なら、遊んであげるくらいはしてもいいけど?」

「お嬢様ならそうおっしゃると思っていました。用意のしがいがあります。ここからは個人的な提案なのですが」

「何よ。言ってみなさい」

「手っ取り早く本人たちに直接尋ねてみるのはいかがでしょう。それも末端ではなく幹部クラスの人間に」

「出来るの? そんなこと」

「いいえ。拠点の所在地は不明のままです」

「じゃあダメじゃない! 却下よ却下」

「いえ、さすがのわたくしでもたった7時間での滞在でそこまでの情報を得ることは出来かねます。ですがもう二日ほど頂ければ可能かと」

「そんな悠長に構えてられないわ。今、目の前で起ころうとしてることだって無視出来ない。わたしの血が原因でこうなってるのよ!」

「だからこそお嬢様が自ら危険地帯に赴く、と」 

「それが責任の取り方ってもんでしょ。このメキシコの旅だけじゃない、あの忌まわしい血が使われる度にそうしてきた。今回だって、この身をもって現場に飛び込むつもりだから!」


 カヤノからお嬢様と呼ばれ慕われている彼女が意気込んだ。


「聞き分けがないのは誰に似たのやら。くれぐれも無茶はなさらぬよう……来ましたよ、お嬢様」

「始める気ね。用意はいい?」

 

 二人揃って視野が広く、視力も良い。その為か、警官隊に対して武装した私服の集団が、建物の影に潜みながら先回りして取り囲んだのをいち早く視認した。

やがて先手を打ったカルテルから始まる銃撃戦。白昼堂々と銃声を轟かせていく両陣営。が、今回の襲撃は読み違えていた。圧倒的に警官の数が多い。50名はいるだろう士気の高い警官隊と比較して、襲撃犯はたったの20名ほど。結果は火を見るより明らかだった。

 不利だと気付いた時点で撤退するかに思えたが、そこで件のアンプルが使用され始めた。

 昨晩と同様。使用したメンバーは例に漏れず全員、血を求め跳梁跋扈する怪物と化す。


「〝偽血ぎけつ〟の投与と〝転化てんか〟を確認」

 

 それは奇襲にも近かった。得体の知れない化物に次々と四肢や臓腑を喰われていく警官たち。


「突っ込むわよ、伽耶乃! しっかり捕まってて!」


 様子見はここまで。すると少女の背中から二対の漆黒の翼が生える。そのまま従者であるカヤノを抱えて戦地まで一直線に滑空した。

 一人の警官が銃を乱射し、やっとのことで撃ち倒すも、奥から7、8人の転化した集団が現れる。一体を撃ち殺すのに一弾倉使い終えるほどの消耗。通常ではあり得ない事が起きていた。


「こ、こいつら不死身か……?」

 

 予備を装填しようとするも弾倉は先の戦闘で使い切ってしまっていた。いよいよこちらに気付いたそれらが一斉に全速で駆け出す。

 立ち竦むそこへ、一面の窓ガラスを突き破りながら二人の少女が飛び込んで来た。


「待たせたわね!」


 薔薇色と百合色を重ね合わせたドレスと、ラビットスタイルのツインテールに纏めたチョコレートブラウンの長い髪。明々と煌めく琥珀色の二つの瞳が見つめ返す。


「伽耶乃は下の階をお願い!」

「承知致しました」


 そう命を受けた彼女もまた同じく整った容姿で、透明感のあるブルーの瞳に黒髪のショートボブ。仕立ての良いクラシカルなメイド服に身を包み、動きづらい衣装であることを感じさせない俊敏さで現場へ向かった。


「な、何なんだ、君らは……? ここへ何しに来た……!」


 ひどく混乱する警官をおいて、居残った彼女は腰に手を当て、前屈みで威風堂々言い放った。


「もちろん助けによ。わたしたちが来たからにはもう大丈夫! さぁ、立って。反撃に出ようじゃない」

「まだ子供じゃないか! しばらくは自宅から出るなと連絡があったはずだろう。危ないから下がって……」

「だ、れ、が子供よ! こう見えてもわたしの方が年上なんだから敬いはしても子供扱いはしないでよね! それにどっからどうみてもあんたの方がピンチでしょ!」


 そうこうしているうちに転化したそれらがすぐそこまで迫っていた。


「会話の最中に。まったく、無粋なんだから」


 真正面から突っ込んで来る一体をひらりと跳躍して躱し、群衆のど真ん中に着地する。


「まずい。あれじゃ、囲まれて逃げる隙がない!」

「誰が逃げ出すって?」


 すると彼女は畳んでいた翼を思い切り広げ、身体を捻った。

 それらは軽く稲穂のように薙ぎ倒され、吹き飛ばされる。


「ふふーん、楽勝。どうよ!」


 その場を一掃した彼女が得意げに言った。


「まだだ。そんなものじゃ奴らは死なない!」


 打ちのめしたそれらが早々に起き上がってくることも、想定内の事態である。


「そんなものって失礼ね。わざと致命傷になるような一撃は避けてるの。あえてよ、あえて」


 今度は屋内へ侵入した際、割ってしまった窓ガラスの破片を拾い上げ、掌を切った。


「やられてあげるつもりはないけど、命まで取るつもりもないから、せめて大人しくしててよね」


 彼女は流れ出た鮮血をそれらに浴びせる。


血止とどめよーー血紮けっさつ!」


 その瞬間、衣服や露出した肌に付着した血液は凝固し、まるでその部分だけ氷漬けにされたかのよう。両腕両脚、腰に至るまでの動きの一切を殺めることなく封じ込めた。

 

「好きな形で自由に固めたり、液体に戻したり。あとは使い方次第でわたしの血は万能なの。そのせいで起こる悲劇もあるけど、わたしが直接終わらせればいいって話よ。さて、伽耶乃の方はどうなったかしら……」


 その場をただの一人の命も奪わずして制圧した彼女は、悠々と下階へ向かった。


「こっちは片付いたわ! 手を借りたいなら言ってきなさい! わたしがいればちょろいもんよ。なーんて、いつものように手助けなんて必要ないのよね、きっと。さっさと聴き込みに行きましょ……って、何よこれ……」


 彼女は困惑した。掴んでいたそれの頭を潰して返り血を浴びるカヤノ。

血飛沫でお気に入りと称していたメイド服はおろか、シルクのような透き通る白い肌すらも真紅に染まり、無表情で死体の山を築き上げていた。

 なかには過剰な暴力によって転化していない、アンプルを握ったまま絶命している者の姿まである。


「何やってんのよ、伽耶乃!」

           

 動揺するも束の間、怒りの感情が湧き立った。


「何って見て分かりませんか。駆除ですよ。出来損ないの。こんな紛い物、見ていられませんから」

「どうしてここまでしたのかって訊いてるのよ! 旅の目的を忘れたわけじゃないでしょ!」

「ええ。お嬢様が長年続けられてきたこの旅の終着点。それは転化の原因となるアンプル、ひいては偽血を誰が造り、売り歩いているのか黒幕を突き止めること。そして、転化してしまった〝吸血体きゅうけつたい〟を元の人間に戻す方法を見つけ出すこと。ですよね」

「そのためにわたしたちは何十年と一緒に海外を探し回ってきた。戦場にも行った。危険な目にもあった。それでも伽耶乃、あなたは誰の命も奪ったりはしなかったじゃない!」


 感情的になる彼女とは裏腹に、そうなるであろうことも織り込み済みだったカヤノは至って冷静で揺らぎがなかった。


「生きたまま捕縛して放置しても、発見した地元警察は必ず殺しますよ。彼らはもうわたくしたちと同じ、吸血体であって人間ではないのですから。お嬢様が手を尽くしてもそれが真実なのです」

「今はそんなこと言ってるんじゃな……」


 まるで時が止まったように感じた。


「…………?」


 気付くと距離を詰めたカヤノが胸に右腕を突き入れていた。


「お嬢様は正しいことをしているつもりなんでしょうが、そんな大きな世界で皆生きてはいないのです。所詮が対岸の火事。少なくともわたくしにとってはそうでした。あなたの振りかぶった自己的な正義感は煩わしい限りでしたよ」

「どうし……て……」


 引き抜いた血みどろの手には拍動する心臓があった。

 崩れ落ちる彼女。意識が遠のいていく。なぜカヤノがこんなことをしたのか、考えても理由に思い至らない。


「最後に一つだけ。この状態で申し上げるのもいかがなものかと思いましたが、時間もありませんので手短に。御暇を頂きます、ルビアお嬢様。今までお世話になりました」


 そう言い残すと、普段通りの歩調でカヤノはお嬢様こと、ルビアの元から立ち去った。

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