IT運用監視員の異世界保守日誌 〜月一の帰社日に絶命した俺、現場の知恵で吸血鬼のバグ(権能)を無効化する。エリートお嬢様、その結界は既に穴だらけですよ?〜
第043話:泥のように眠る、エンジニアの特権
第043話:泥のように眠る、エンジニアの特権
意識が浮上し始めたのは、窓から差し込む午後の柔らかな光が、俺の瞼を透かした時だった。 自分がどこにいるのか、一瞬だけ分からなかった。戦場の鉄錆の匂いも、死霊が放つ不快な冷気もない。鼻をくすぐるのは、清潔なリネンと、どこか懐かしい香油の匂いだ。
「……あ。……ログイン、したか」
声を出そうとして、喉が酷く枯れていることに気づいた。 俺はゆっくりと上半身を起こす。そこは砦の主――アリサが使っている執務室の奥にある、休憩室のようだった。
サイドテーブルには、冷えた水と、丁寧に剥かれた果物が置かれている。 俺は一気に水を飲み干し、ようやく自分の「現状」を把握し始めた。 カステル砦の攻防戦。旧運河でのスタック誘導。吸血鬼ジル・ド・レの消滅。そして、クリーンアップ作業中の強制シャットダウン。
「……どれくらい、オフラインになっていたんだ?」
枕元に置かれていた魔導盤(コンソール)を手に取り、内部時計を確認する。 丸一日の欠測。どうやら俺は、二十四時間以上も深い眠りの底に沈んでいたらしい。 エンジニアにとって、大規模な修正(デプロイ)直後の泥のような眠りは、唯一にして最大の報酬だ。だが、起きた瞬間に「現在の稼働状況はどうなっている?」とバックグラウンド・プロセスが気になってしまうのは、もはや呪いに近い職業病だった。
ふと、部屋の隅に視線をやると、一人掛けのソファで、アリサが器用に膝を抱えて眠っていた。 彼女の膝の上には、俺が回収したはずのあの「黒い魔導書」と、何かの資料が広げられている。
「……お嬢様まで、スリープモードか」
彼女の銀髪が夕日に輝いて、戦場で見せていた凛々しい指揮官の面影はどこにもない。 ブラッドハート家の令嬢として、彼女もまた限界までリソースを使い切っていたはずだ。俺が寝ている間に、彼女がどれだけの戦後処理を片付けたのか。ソファの周りに積み上げられた、署名済みの書類の山がそれを物語っていた。
俺はベッドから抜け出し、足音を立てないように彼女に近づく。 魔導書に触れようとした時、アリサの睫毛が微かに震えた。
「……ん……れ、レイン……?」
ゆっくりと開かれた真紅の瞳が、ぼんやりと俺を捉える。 数秒のラグ。そして彼女は、自分が寝ていたことに気づき、慌てて背筋を伸ばした。
「おはよう、レイン! ……じゃなくて、もう夕方ね。気分はどう? どこかエラー……じゃなくて、痛むところはない?」
「システム、オールグリーンです。……お嬢様こそ、そんなところで寝ていたら、体の節々が深刻な不具合(エラー)を起こしますよ」
「ふふ、そうね。でも、あなたがいつ起きるかと思ったら、目が離せなくて。……本当に、よく眠っていたわよ。時々、あなたの魂がこのままどこかへ消えてしまうんじゃないかって、不安になるくらい静かに」
アリサは安心したように微笑み、膝の上の書類を片付けた。 だが、その手元に残った黒い魔導書を見る彼女の瞳には、再び剣呑な光が宿る。
「レイン。あなたが寝ている間に、この本を少し調べてみたの。……信じられないことに、この術式の根幹には、わが家――ブラッドハート家に伝わる古い伝承、その失われた禁忌の魔術と、酷く似通った気配があるのよ」
その言葉に、俺の脳内の警告灯が小さく明滅した。 北から送り込まれた絶望。その中枢に座していた吸血鬼。そして、アリサの家系に伝わる禁忌の影。 どうやら、安息の時間はこれで本当におしまいのようだ。
「……なるほど。どうやら、この不具合の根は、俺たちが思っていたよりずっと深く、古い『レガシーコード』に繋がっているみたいですね」
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