第041話:バックアップなき喪失。愛した残像の消滅

 朝日がカステル砦の惨状を暴き出す中、運河の底に横たわるジル・ド・レは、もはや死を待つだけの彫像のように静止していた。  ガベージコレクションによって魔力の供給を断たれ、キメラという巨大な「器」を失った彼は、急速にその生命の灯火を使い果たしつつあった。


「……あ、あ……ジャンヌ……。私の、ジャンヌ……」


 血を吐きながら、彼の手が空を掻く。  彼が召喚陣から呼び出そうとしていたのは、執拗なまでに叫び続けている『ジャンヌ』なる存在の面影だった。だが、そこに実体はない。ただ、彼が魔導書に無理やり書き込んだ、不完全な「死の記録」が不気味なノイズとなって漂うだけだ。


 俺は瓦礫を掻き分け、彼を見下ろした。  その手にある黒い魔導書――ジル・ド・レが「救済」と信じて疑わなかった呪物からは、壊れたレコードのように耳障りな音が鳴り響いている。


「無駄ですよ、ジル・ド・レ。あなたがそこに呼び出そうとしているものは、本人の魂じゃない。あなたが自分の願望を投影し、継ぎ接ぎしただけの、ただの残像だ」


「黙れ……っ! 黙れ、卑しき技師め! 私は、あの御方を……もう一度、この地に呼び戻し、この腐った世界を……あるべき姿へ変えるのだ……!」


「いいえ。あなたは失われた存在を呼び戻そうとしていたんじゃない。その死という確定した事実を認められず、存在しない過去を無理やり現実に繋ぎ止めようとしていただけだ。……一度完全に消失したものは、どこにも保存されていない。そんな空っぽの領域に、どれだけ死体を詰め込んでも、あなたが求める『何か』は戻ってこない」


 俺の言葉は、エンジニアとしての冷徹な事実確認(ファクトチェック)だった。  この世界において、死という現象はデータの完全消去に等しい。それを無理やり復元しようとすれば、必ず深刻な不具合――つまり、先程のキメラのような怪物が生まれることになる。


「……ぐ、あああああ!」


 ジル・ド・レが絶叫した。  彼が抱えていた魔導書が、主の絶望に反応するように真っ赤に発光する。  だが、それはもはや攻撃の予兆ではない。魔力の供給を断たれたシステムが、自らの構成を「破棄」し始めた証だった。


 彼の目の前で、何者かを模していた影が、修復不可能なノイズとなって崩れていく。  それは、彼が何十年もかけて、数万の犠牲を払って守り続けてきた「執着の記録」が、一滴の余韻も残さず、この世界から恒久的に抹消(ワイプ)されていく瞬間だった。


「待て……! 行くな! 私を置いていかないでくれぇ!!」


 彼が最後に見たのは、焦がれた光ではなく、不確かな影が塵となって消える虚無だった。  彼自身の肉体もまた、限界を迎えていた。  吸血鬼としての悠久の時を生き、不老不死を誇ったその強靭な肉体も、強引な術式展開の負荷に晒され続け、脳と神経は焼き切れている。


 ジル・ド・レの瞳から光が消え、握りしめていた魔導書が地面に転がった。  彼というプロセスが、完全に終了した。


 ――カラン、と乾いた音がして、魔導書が閉じる。  それと同時に、あれほど砦を覆っていたどす黒い魔圧が、嘘のように霧散した。


「……救われなかったのね。彼も、彼に殺された人たちも」


 いつの間にか俺の隣に立っていたアリサが、悲しげに呟いた。  彼女の銀髪が朝露に濡れ、戦いの終わりを告げている。


「救済を試みるには、彼はあまりにも多くの『理』を壊しすぎました。……お嬢様、俺たちは生き残った。今の俺たちにできるのは、壊された世界の整合性を、一つずつ手作業で直していくことだけです」


 俺は地面に転がった黒い魔導書を拾い上げた。  悠久を生きる吸血鬼を狂気に走らせ、万の軍勢を一人で維持させた、禁忌のデバイス。


「……これほどの吸血鬼がこれを使って、なお『一部』に過ぎないのか」


 俺の魔導盤には、依然として不気味な通知が残っていた。  この魔導書から伸びていた魔力の経路(ライン)は、ジル・ド・レの死によって途絶えたのではない。彼という、外界へ露出した最大級の「実行ユニット」を失い、より巨大な「源流」へと巻き取られていっただけなのだ。



[LOG] CONNECTION LOST: ENDPOINT_GILLES

[LOG] REDIRECTING TRAFFIC TO ORIGIN...

[SOURCE] ZENITH_CORE_SERVER.



「レイン……? 顔色が悪いわよ。大丈夫?」


「……いえ。少し、難解なバグの解析をして疲れただけです。それよりお嬢様、砦の復旧を急ぎましょう。召喚陣は塞ぎましたが、物理的な壁が崩壊したままでは、普通の野盗や魔獣すら防げません」


「そうね……。まずは生き残った人たちの手当てと、砦の再建ね。レイン、あなたにはまた、こき使ってもらうことになるわよ?」


「……勘弁してください。俺の稼働時間は、とっくに限界を超えていますよ」


 軽口を叩き合いながらも、俺は北の空を見上げていた。  公国の人間さえもゾンビに作り替え、あのジル・ド・レをさえ組み込んで動かしていた、巨大な「何か」。ゼニス公国の本体は、未だに沈黙を保ったまま、次の『更新』を企んでいるのか、あるいは既にその内側から食い破られているのか。


 俺は懐の魔導書を強く握りしめた。  この世界の歪みを全て正し、本当の「安定稼働」を勝ち取るまで、俺の休日はまだ遠そうだ。

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