【第3章:メモリリーク――死体再利用の泥沼】

第031話:砦の周辺でリソースリーク(死体不足)が発生

 呂后が消滅し、砦を覆っていたあの不快な死の気配が霧散してから三日が過ぎた。  人豚化の呪縛から解かれた騎士たちは、驚異的なスピードで肉体機能を回復させている。砦の魔力炉も安定し、物理的な損傷箇所の修繕も順調だ。システムは概ね「正常(正常稼働)」の状態に復帰したと言っていい。


 だが、俺が深夜まで魔導盤(コンソール)の前に座り、砦周辺の環境データを監視し続ける中で、どうしても無視できない「不自然な数値」が一つだけ残っていた。


「……やはり、計算が合わない。物理的な摂理が壊れているな」


 俺は執務室の静寂の中で独りごちた。  画面に映し出されているのは、砦を中心とした半径五キロ圏内における『生物的リソースの推移表』だ。生態系の循環を魔力波長で解析し、グラフ化したものだが、その折れ線が数日前から異常な挙動を示している。


「レイン、またそんな難しい顔をして。せっかくいいお天気なんだから、少しは窓を開けて外の空気を吸ったらどう?」


 扉が開く音と共に、アリサが淹れたての茶を持ってやってきた。  窓から差し込む冬の柔らかな陽光を浴びて、彼女の銀髪が細かな光の粒子を撒き散らすように輝いている。だが、俺はその視覚的な癒やしを無視して、指先でモニターの一点を叩いた。


「お嬢様、天気の良し悪しよりも深刻な問題が発生しています。……この砦の周辺で、『死体』が消失しています」


「……は? 死体?」


 アリサは呆気にとられたように、カップを置こうとした手を空中で止めた。


「何よそれ、不謹慎な冗談? 死体が消えるなんて……。まさか、お墓が暴かれたっていうの?」


「それだけではありません。ここ数日、近隣の森で騎士が狩った魔獣の死骸、家畜の屠殺屑とさつくず、果ては道端に落ちていた鳥の死骸に至るまで――あらゆる『有機物の残骸』が、腐敗して土に還る前に現場から消失しているんです。しかも、血痕一つ残さずに」


 俺は画面上の地図に、いくつかの赤い警告灯(アラート)を点灯させた。  それは、昨日から今日にかけて「死骸が確認された場所」と「その消失が確認された場所」だ。


「本来、生命が活動を停止すれば、その肉体は『分解者』という名のサブプロセスによって処理され、大地という名のストレージへとリソースが返還される。これが自然界の正常なメモリ解放(クリーンアップ)です。……だが、何者かがそのプロセスを外部から横取りし、消えるはずのデータをどこかへ強引に『転送(エクスポート)』している形跡がある」


「転送……? そんなことが可能なの?」


「ええ。いわば、世界のメモリリークですよ。本来なら解放され、循環(ループ)に戻るべきリソースが、どこか一箇所に溜まり続けている。これは自然現象ではありません。明確な意志を持った『収集』です」


 アリサは不安そうに自分の肩を抱いた。  彼女には、俺が言っている「メモリリーク」という言葉の正確な意味は分からないだろう。だが、自分の治める土地で不気味な「死体の盗難」が広範囲で行われているという事実の異常性は、十分に伝わったはずだ。


「……まさか、またセブンスターズの仕業なの? 呂后は、あなたが消したはずでしょう?」


「ええ。ですが、ジャック(第7星)が消え、呂后(第6星)も消えた。システムの重要プロセスが二つも空席になったことで、世界の管理権限(パーミッション)に穴が空いている。今まで大人しくしていた他の『星』、あるいはその座を狙う野心家たちが、今のうちにリソースをかき集めて戦力を補強しようとしても不思議ではありません」


 俺がそう説明した直後、執務室の窓を激しく叩く音が響いた。  それは偵察用に放っていた小型の魔導鳥だった。  俺が急いで窓を開けて受信モードに切り替えると、そこには血の気の引いた騎士団長からの緊急音声ログが、ノイズ混じりに記録されていた。


『――緊急報告! 北部国境付近の緩衝地帯に、未確認の軍勢が出現! ……いや、これは軍勢とは呼べません! 全員、骨と腐肉の塊だ! 鎧を着ているが、中身はただの腐った死体だ……!』


魔晶石の向こう側からは、激しい剣劇の音と、騎士たちの悲鳴、そして——粘りつくような「うめき声」が聞こえてくる。


『おかしいんだ……! 倒しても、首を撥ねても、バラバラになった肉の破片が集まってまた立ち上がってくる……。まるであざ笑うかのように、何度でも、何度でも……っ!』


「……なるほど。消えたリソースの『出力先(アウトプット)』が見つかったようですね」


 俺は冷めたコーヒーを一口飲み、魔導盤のインターフェースを、環境監視モードから「広域戦闘管理モード」へと一気に切り替えた。  画面には、国境付近を埋め尽くそうとする膨大な数の未確認オブジェクト――ドットの群れが、赤黒いノイズのように表示されている。


「お嬢様、残念ながらティータイムは終了です。新たな不具合(トラブル)の報告が入りました」


「レイン……あれは、一体何なの?」


「データの『削除(デリート)』を認めない、タチの悪いゾンビ・プロセスですよ。……リソースを不正に再利用し続け、システムを物理的な物量でパンクさせるつもりらしい」


 俺は冷静に、だが内心では「また残業か」という不快感を覚えながら、魔導盤に起動キーを叩き込んだ。  本来、一度解放されたリソースは二度と再利用(再定義)してはならないのがこの世界の鉄則だ。それを無視して「ゾンビ・プロセス」を垂れ流し続ける奴がいる。管理の概念を真っ向から踏みにじるその手法は、俺のようなエンジニアが最も嫌悪する「最悪のスパゲッティ・コード」そのものだった。


「さあ、お嬢様。……『死体はゴミ箱へ』。そう教育しに行ってやりますよ」

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