呂后の指先が俺の胸元に触れた瞬間、心臓が跳ね、全身の血管が逆流するような衝撃が走った。 　視界の端で、俺自身の腕の「定義データ」が激しく点滅し始める。

『Warning: Data Corruption Initiated』

『Action: Progressive_Deterioration（漸進的崩壊を実行中）』

　俺の右手の指が、呂后の言葉通り、まるで熱した飴細工のようにゆっくりと形を失い、歪な突起へと変質しようとしていた。

「どうかしら？　自分が自分でなくなっていく、この極上の恐怖は。……まずは指、次は腕、そして最後は喉。……泣き叫びたくても声が出ない、そんな姿になるまでじっくりと愛でてあげるわ」

　呂后は勝ち誇ったように、うっとりと目を細めた。 　だが、俺は激痛を奥歯で噛み殺しながら、コンソールの残骸から引き抜いた一筋の魔力回線（ケーブル）を、自分の左腕に直接巻き付けた。

「……はぁ、はぁ。……あんた、本当に……無駄が好きだな」

「……何ですって？」

　呂后の眉が不快げに跳ねる。俺は歪み始めた右手を冷淡に見つめ、吐き捨てるように言った。

「一秒ごとに指を一本ずつ消す？　そんな『順次処理（シーケンシャル・プロセス）』でちまちま壊して、何が楽しいんですか。……全体の定義を一気に書き換えた方が、リソースの節約になるでしょうに」

「リソース……？　何を、わけのわからないことを……」

「『いたぶる』なんてのは、ただの自己満足だ。……システム管理者（管理者）の権限を使いながら、処理をわざと遅延させるなんて、エンジニアの視点から見れば『非効率』の極みですよ。……おかげで、反撃のコードを書くための『猶予（マージン）』がたっぷり確保できた」

　俺が左腕の回線に魔力を流し込んだ瞬間、俺の背後でフリーズしていた魔導盤が、けたたましいアラートを鳴らして「強制再起動（フォース・リブート）」した。

「レイン、危ないわ！　あなたの体自体が壊れ始めてる！」

「いいんです、お嬢様。……壊れゆく部位を『サンドボックス（隔離領域）』として切り離しました。……呂后の攻撃は、今あそこでループ（無限回廊）に陥っている」

　俺の右腕は、人豚へと変わる寸前の姿で「停止」していた。 　呂后がかけた『いたぶり（遅延攻撃）』という性質を逆手に取り、その変化のプロセスを隔離された領域に閉じ込めることで、本体への侵食を物理的に停止させたのだ。

「私の呪いを……止めたというの？　この名もなき卑小（ひしょう）な人間が……っ！」

「止めたんじゃない。……あんたの投げた『悪意あるクエリ』を、未処理のままスタックに積み上げただけです。……さて、呂后さん。あんた、さっき言いましたね。いたぶるのを『楽しめ』と」

　俺は血の混じった唾を吐き、再起動したコンソールのエンターキーに指をかけた。

「……それ、そのまま熨斗（のし）をつけてお返ししますよ。……あんたが溜め込んだ膨大な『破壊命令』、そっくりそのままあんたの元へ送り返す（リダイレクトする）ことにしました」

「な……っ！？」

　呂后の顔から、余裕の笑みが消え失せた。