第022話:サニタイズ(無害化)パッチの作成。レインの深夜残業

 大書庫の窓の外は、すでに漆黒の闇に包まれていた。  だが、俺の目の前にある魔導盤(コンソール)だけは、異常なほどの演算光を放ち、周囲の書架を青白く照らし出している。


「……ふぅ。まだ終わらないのか。月曜どころか、もう火曜に突入してそうだな」


 俺はこめかみを指で押し、充血した目をしばたかせた。  視界には、呂后が放った『人豚の呪い』の解析データが、無限に続く滝のように流れ続けている。


『Analyzing: Malevolent_Code_Pattern』

『Threat_Level: High (Self-Replicating)』


「……レイン、大丈夫? もう三時間も座りっぱなしよ。少し休んだら?」


 背後でアリサが心配そうに声をかけてくる。  彼女は俺の背中に手を当て、絶え間なく魔力(リソース)を流し込み続けてくれていた。その顔にも、拭いきれない疲労が滲んでいる。


「休んでいる間に、外の連中が完全に『フォーマット』されちまいますよ。……ようやく見えてきた。呂后の命令(コード)は、対象の肉体情報を上書きする際、必ず一つの『署名(シグネチャ)』を介している」


 俺は空中に浮遊する構造図の、ある一点を指差した。  そこには、髑髏どくろとも花ともつかない、禍々しい紋様がノイズのように張り付いている。


「この紋様こそが、悪意ある命令を正当な命令だと誤認させる『鍵(トークン)』だ。……これがあるせいで、砦のシステムは侵入を許し、肉体は抵抗なく変異を受け入れてしまう」


「その……鍵を壊せば、みんな元に戻るの?」


「いいえ。無理に壊せば、今度は肉体そのものが矛盾に耐えきれず、完全にデータクラッシュ(即死)します。……だから、壊すんじゃなくて『無害化(サニタイズ)』するパッチを当てるんです」


 俺がやろうとしているのは、呂后の命令を拒絶することではない。  呂后の命令が実行される直前に、その内容を「人豚への変異」から「ただの疲労」や「睡眠欲」といった無害な数値へと、リアルタイムで書き換える『入力値の無害化(サニタイズ)』だ。


「……よし。フィルター定義、完了。……次は、これを砦の全セクタへ一斉配信(デプロイ)するための通信路(パス)を確保する」


 俺の指が、キーボードを叩く打鍵音を加速させる。  呂后が「特権権限(Admin)」を盾に上から壊してくるなら、俺はその権限が命令を届けるための『通り道』をジャックして、中身をすり替えてやるだけだ。


「レイン、あなたのやってること、私にはもう魔法の儀式にしか見えないわ。……でも、信じている。あなたがこの地獄を終わらせてくれるって」


「地獄じゃありませんよ。ただの……少し手のかかる、深夜残業です」


 俺は自嘲気味に笑い、確定(エンター)キーを叩いた。


『Sanitize_Patch: Created』

『Target: All_Infected_Nodes』

『Deploy_Status: Ready』


 魔導盤から放たれた青い光の粒子が、大書庫の隙間を縫って、砦全体へと広がり始める。    だが、その瞬間だった。  コンソールの画面が真っ赤に反転し、不気味なノイズとともに一人の「女」の笑い声が響き渡った。


『――ふふ。私の芸術に、余計な筆を入れるのはどこの誰かしら?』


 呂后。  あいつが、俺のパッチ配信を察知して、システム越しに直接「ノック」してきた。


「……チッ。検知されるのが少し早かったか」


 深夜二時。  本当のデスマーチの山場は、ここからだった。

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