第019話:騎士たちの肉体が「損壊」を始める

「……始まったか」


 俺は魔導盤(コンソール)に表示されるエラーログの濁流を見つめ、苦く呟いた。  呂后の影が消えてからわずか数分。砦全体が、目に見えない「毒」に侵され始めていた。


「レイン! 広場の騎士たちが……みんな、様子がおかしいの!」


 アリサの悲鳴に近い声。  先ほどまで検疫のために並んでいた騎士たちが、次々とその場に蹲(うずくま)っている。  物理的な外傷はない。だが、彼らの身体は、まるで未完成の粘土細工が崩れるように変貌を始めていた。


「あ、が……手が、俺の手が……ッ!」


 一人の騎士が叫ぶ。彼の指は一本、また一本と、掌の中に「溶ける」ように吸い込まれて消え、代わりに硬い蹄(ひづめ)の質感が肉を突き破って現れる。  別の騎士は、背骨が異常な角度で湾曲し、喉からは言葉にならない獣の鳴き声が漏れていた。


「治療魔法(ヒール)を! 早く、彼らに聖なる光を!」


 アリサの号令で、残った術師たちが一斉に魔法を放つ。白光が広場を包み込む。  本来なら、どんな深い傷も塞ぐはずの慈愛の光。  だが、騎士たちの変異は止まらない。それどころか、魔法の光を浴びた箇所から、さらに不気味な黒いノイズが噴き出し、変異は加速した。


「なぜ……!? 治癒が、拒絶されている……?」


「無駄です。お嬢様、術師たちを下げさせてください」


 俺は魔導盤を叩き、一人の騎士の身体定義(バイナリ)を強制的に展開した。


『Critical Error: Identity_Data_Corruption』 『Attribute: Human -> Domestic_Animal (Overwriting...)』


「彼らの肉体は、傷ついているんじゃない。……存在の定義そのものが、吕后の命令によって強制的に書き換えられている。……いわば、肉体という名のデータの『損壊(クラッシュ)』です」


「そんかい……? 壊れているなら、なおさら治さなきゃいけないでしょう!」


「治癒魔法は、『人間』という設計図が正常であることを前提とした修復プログラムだ。……でも今の彼らは、根底にある設計図自体を呂后にいじられている。……『豚の足が生えている状態』が彼らの正解(デフォルト)として書き直されつつあるんだ。そこに治癒魔法をかけても、『正常な豚の足』を維持する手助けをするだけですよ」


「そんな……! じゃあ、どうすればいいのよ! このままみんなが獣になっていくのを、黙って見てろっていうの!?」


 アリサの瞳に絶望の色が混じる。    視界の端では、砦の建物さえもが悲鳴を上げていた。  石造りの壁が柔らかく脈打ち、窓枠が牙のように尖る。  呂后の「インジェクション」は、生命体だけでなく、この砦というシステム全体を飲み込もうとしている。


(……10分以内に手を打たないと、砦のセクタ(区画)の半分が死ぬな)


 俺は淹れたての豆汁を一気に飲み干し、熱いカップを魔導盤の横に置いた。  胃の奥がヒリつく。前世で、大規模サーバーダウンの連絡を深夜二時に受けた時と同じ感覚だ。


「……お嬢様。ここからは俺の領域です。あんたは、まだ意識がはっきりしている騎士たちを砦の中枢――一番強固なセキュリティがかかっている『大書庫』に避難させてください。……1秒でも長く、彼らの『人間としての定義』を維持させるんだ」


「レイン、あなたはどうするの?」


「決まってます。……不適切なデータの流し込み(インジェクション)を止めるための、緊急用パッチをビルドします」


 俺の指が、残像を残すほどの速度で魔導盤の上を走り始める。  監視員の月曜日。デスマーチは、ここからが本番だった。

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