第014話:砦の暫定運用保守契約、締結

 スープで人心地ついた俺は、這い上がるようにしてベッドから抜け出し、アリサに「重要会議」を申し込んだ。


 場所は、砦の最高責任者執務室。


 豪華な革張りの椅子に座るアリサに対し、俺は立ったまま、魔導盤(コンソール)に表示させた「砦の現状(ログ)」を突きつける。


「……というわけで、お嬢様。昨日の防衛戦は、単なる運と俺の徹夜で凌いだに過ぎません。次に来る第六星……あの『呂后』という女は、ジャックとは比較にならないほど高度な『書き換え』を行ってきます」


「そ、そんなに深刻なの? 結界の強度は昨日、あなたが上げたはずじゃない」


 アリサが不安げに銀髪をいじる。設計者(開発)の彼女からすれば、「昨日動いたんだから明日も動くはずだ」と思いたいのだろうが、運用現場にそんな甘えは通用しない。


「強度の問題じゃない。今の砦は『管理権限』がガバガバなんです。誰でも裏口から入れるし、中身を改ざんされても気づくのが遅すぎる。……そこで、お嬢様に三つの条件を提示します」


 俺は指を三本立てた。


「一つ。この砦内の全魔導デバイス……湯沸かし器から防衛結界まで、すべての『管理者権限』を俺に委託すること。お嬢様であっても、俺の許可なく設定変更(術式の書き換え)は禁止です」


「なっ……! 私にこの砦を触るなと言うの!? 失礼しちゃうわ!」


「二つ。カイルさん以下の騎士団を、俺の『監視端末』として動かせるようにすること。彼らの配置、巡回ルート、報告系統はすべて俺が再構築します」


「……三つ目は?」

 アリサが頬を膨らませて、こちらを睨んでくる。


「三つ目。……週に一度の完全非稼働日……つまり休日と、一日の定時退社時間の確保。そして、まともな食事と清潔な寝床の提供です」


 アリサは呆気にとられたように口を開けた。

 前二つの条件は軍事的な主導権を握るという、スパイや乗っ取り犯のような要求なのに、最後の一つがあまりにも「ささやか」で生活感に溢れていたからだ。


「……あなた、あんな恐ろしい吸血鬼を相手にしながら、そんな『お休み』の心配をしているの?」


「当たり前です。過労で倒れたら誰が保守するんですか。俺が死んだら、この砦は三日で呂后に落とされますよ」


 俺の死んだ魚のような、しかし確信に満ちた目を見て、アリサはふいっと視線を逸らした。


「……わかったわよ。正直、納得いかないけれど……。昨日の今日で、あなたを追い出すわけにもいかないし。それに、あなたが言う通り、私にはあの霧の正体すら分からなかったんだもの」


 アリサは悔しそうにしながらも、羽ペンを取って羊皮紙にさらさらと文字を書いた。


「これにサインしなさい。……ブラッドハート家が認める、『特別技術顧問』としての暫定契約よ。ただし! 成果が出なかったら、即座にクビなんだからね!」


「契約(コンタクト)成立ですね。……ああ、それと追加で」


「まだあるの!?」


「コーヒー……じゃなかった、それに似た、苦くて目が覚める飲み物を支給してください。開発……じゃなかった、術式の解析には欠かせないんです」


「……変な人。侍女に用意させるわよ」


 こうして、俺はこの異世界で初めて、正式な「仕事」を手に入れた。

 奴隷でも、迷い人でもない。  この砦の「運用保守責任者」という、あまりにも重く、やりがいだけはあるブラックな椅子だ。

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