第013話:報酬は温かいスープと、汚いベッド

 ……目が覚めると、そこは湿った地下室ではなかった。  天井の石材は丁寧に磨かれ、窓からは柔らかい朝日が差し込んでいる。


(……動けない。全身の筋肉がロックされているみたいだ)


 無理に起き上がろうとすると、後頭部にズキリとした痛みが走る。過負荷(オーバーヒート)気味だった脳が、まだ再起動を拒否している。


「あ、起きたのね。……意外と早かったじゃない」


 枕元に、見慣れた銀髪の少女が立っていた。  アリサだ。昨夜の激戦で汚れたはずの魔導ドレスは着替えられており、彼女からは微かに香草の、清潔な匂いがした。


「……お嬢様。……敵の再ログイン、じゃなかった、襲撃は?」


「カイルたちが周囲を索敵したけれど、霧は完全に晴れたわ。

あの不気味な女(呂后)も、眷属を連れて引き揚げたみたい」


「そうですか……。なら、今は非稼働(オフライン)状態ですね」


 俺が安堵して再びベッドに沈み込もうとすると、アリサがトレイに乗った湯気の立つ器を差し出してきた。


「はい。これ、飲みなさい。……お腹、空いているでしょう?」


「……。お嬢様、これの『テスト』……毒見は済んでますか?」


「失礼ね! 私が自ら厨房に指示して、最高級の薬草と肉を煮込ませたスープよ! 毒なんて入ってないわ!」


 顔を真っ赤にして怒るアリサ。  俺は震える手でスプーンを受け取り、一口すする。  ……驚くほど、温かかった。  前の世界で、深夜のオフィスで啜っていた冷めきったカップ麺とは、対極にある味だ。


「……美味しいです」


「……ふん。当然よ。あなたが倒れたら、この砦の『理』を直せる人がいなくなるもの。これくらい、当然の報酬なんだから」


 アリサは窓の外を向きながら、少しだけ寂しそうに、けれど安堵したように呟いた。


「……レイン。正直、あなたのやり方は無礼で、私の理解を超えているわ。でも……あなたが昨日やったことは、この砦の歴史の誰にもできなかったことよ。それは、認めてあげる」


 エリート設計者(魔導師)としてのプライドを保ちつつも、彼女の言葉には確かな「信頼」が混じり始めていた。


「……光栄です。ですがお嬢様。スープ一杯で、このブラックな現場がホワイトになると思ったら大間違いですよ」


「ぶらっ……? 何よそれ。またあなたの故郷の言葉?」


「ええ。……これから、本格的な『保守契約(条件交渉)』をさせてもらいます。今のままじゃ、俺の命がいくつあっても足りませんから」


 俺はスープを飲み干し、まだ少し震える指を動かした。  呂后は「また来る」と言った。  次の「パッチ」を当てる前に、まずはこの砦の体制(ガバナンス)を立て直す必要がある。

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