第008話:亡き先代の『遺産(レガシー)』。地下書庫のゾンビ・プロセス

「お嬢様、カイルさん。護衛をお願いします。これから、このシステムの『大掃除』に行きますよ」


 俺は作業用のポーチから、デバッグ用の――正確には、この世界の住人が「小型の魔石」と呼ぶ結晶体を取り出した。


 このポーチは、昨夜、この研究室の備品から見繕ったものだ。中身はただの安価な魔石の欠片や、導電性の高い銀の針。だが、俺の視界(コンソール)を通せば、それらは「簡易テスター」や「信号増幅器」として機能する。  魔法の知識がなくても、どの石にどれだけの出力(マナ)を流せばどう反応するか、ログを読み取れば「マニュアル」を読んでいるのと同じことだ。


「……父様の秘密の部屋? でも、あそこは父様が亡くなってから完全に封鎖されたはずよ」


 アリサが不安げに眉をひそめる。  先代がこの砦の主であった頃、地下書庫は彼専用の術式で閉ざされていた。主が亡くなった今、その入り口は物理的にも魔法的にも「閉じられたはず」というのが、この砦の常識だった。


「お嬢様、運用において『封鎖した』という言葉ほど信用できないものはありません。入り口を埋めたところで、見えない通信経路……じゃなかった、魔力の通り道が繋がったままなら、それは開いているのと同じです」


 俺たちは松明を手に、埃の積もった地下階段を降りていった。


 最下層。そこには、アリサの父が遺したとされる「禁忌の書庫」があった。  分厚い石扉は固く閉ざされ、蜘蛛の巣が張り付いている。だが、俺の視界には、扉の隙間から漏れ出す「異常なトラフィック(情報の流れ)」が赤黒いノイズとなって見えていた。


「……あ」


 俺が扉の封印に手をかざすと、視界に無数のエラーログが躍った。


『Warning: Unauthorized_Data_Relay(警告:不正なデータ中継)』 『Status: Ghost_Process_Detected(亡霊プロセスの検出)』


「……やっぱりだ。これ、先代が亡くなった後も止まらずに動いている『幽霊(ゴースト)』ですよ。……いや、ゾンビ・プロセスだ」


「ゾンビ……? まさか、父様が動く死体となってそこに……!?」


 アリサが青ざめて俺の服の裾を掴む。


「いえ、肉体の話じゃありません。主(管理者)がいなくなったのに、終了命令が出されないまま、自動で動き続けている魔法の仕掛けのことです。……恐ろしいのは、この仕掛けが、砦の防衛情報を外部の……ええと、吸血鬼の拠点へと垂れ流しにしていることです」


 アリサの父親は、何らかの理由でこの回線を作った。あるいは、吸血鬼に利用されていることに気づかずに。  そして彼が亡くなった後も、その「秘密の裏口(バックドア)」は、砦の弱点を敵に教え続けていたのだ。


「……誰かがこの部屋に入って、物理的にスイッチを切る……術式を解体する必要があったんだ」


 俺が扉の結界を指先でなぞり、脆弱性を突いて強制解除(ログイン)を試みた瞬間。


 ギギギ……と重い音を立てて扉が開き、中から冷気が吹き出してきた。  暗がりの奥、無数の魔導書が積み上がった部屋の中央で、ボロボロの衣服を纏った「何か」が、不気味な光を放つ水晶を抱えて座っていた。


「……侵入者、検知。……情報の転送を、継続します」


 その「何か」の頭上に、俺のコンソールは冷酷な判定を下した。


『Target: Automated_Spy_Doll(自動スパイ人形)』 『Status: Rootkit_Infection(根幹からの汚染)』


「……お嬢様。これ、お父様の遺産じゃありません。……ずっと昔に仕込まれた、悪意ある魔法……ウイルスですよ」


 暗闇の中から、カチカチと歯車が鳴るような音が響き、スパイ人形がゆっくりと立ち上がった。

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