第007話:野良魔導具の削除。キッチンの湯沸かし器は脆弱性です

「……待って。それを壊すのは待ってちょうだい!」


 俺が魔導盤(コンソール)に繋がっていた一本の細い水晶管を抜き取ろうとした瞬間、アリサが悲鳴のような声を上げた。


「なんですかお嬢様。これはキッチンの湯沸かし器へ繋がっている、いわば『野良回線』ですよ。砦のメイン防御壁に使うはずの魔力が、常に5%もここに流出(リーク)しているんです」


「分かっているわ、それは分かっているのだけれど! それを止めると、私の毎朝の楽しみである『ブラッド・ティー』が淹れられなくなるのよ!」


「お嬢様。運用現場において、『便利だから』という理由で放置された非公式な設定(コンフィグ)……いや、勝手な約束事が、どれだけ致命的なセキュリティホール……守りの穴になるか分かっていますか?」


 俺は冷徹な眼光をお嬢様に向けた。死んだ魚のような、しかし仕事に関しては一切の妥協を許さないプロの目。アリサはその視線に圧され、たじろぐ。


「昨夜、ジャックは霧を使って侵入しました。彼は、結界の『強度が均一でない箇所』を見つけて、そこを起点に自身の力を流し込んだ。……その脆弱性(ぜいじゃくせい)を作っていたのが、この湯沸かし器ですよ。お嬢様の『お茶を飲みたい』という欲求が、砦を滅ぼしかけたんです」


 アリサは顔を真っ赤にして絶句した。自分の嗜好が原因で、昨夜の惨劇の一端を招いた事実に打ちのめされたようだ。


「……それに、奴らの狙いはお嬢様の命だけじゃない。そうでしょ、カイルさん」


「ああ……。レインの言う通りだ」

 カイルが重々しく口を開いた。

「吸血鬼の真の恐怖は、単なる殺戮ではない。奴らに血を吸われた人間は、意識を保ったまま奴らの『下級眷属』へと作り替えられる。昨日、もしお嬢様が噛まれていれば、この砦の結界はそのまま、我々人間を逃さぬための檻に変えられていたはずだ」


 なるほど、と俺は納得した。  それは吸血という名の「ワーム型ウイルス」だ。  1箇所でも突破されれば、そこを起点に内部から管理者権限……支配の権利を乗っ取られ、味方のリソース、つまり兵力や施設がすべて敵に回る。


「……笑えない冗談ですね。対策ソフトもないこの世界で、そんなものを野放しにしているなんて。お嬢様、やはりこの湯沸かし器は即刻廃止です。お茶が飲みたければ、魔法を使わずに火を起こしてください」


「うぐ……っ! 分かったわよ……。好きになさい。……その代わり、完璧に直しなさいよ、この砦を!」


「言われなくても。……さて、次は『ゴースト(幽霊)』の退治といきましょうか」


 俺はコンソールのさらに深い階層、先ほど見つけた「隠し回線」にフォーカスを当てた。


「お嬢様。この砦には、亡くなったお父様以外の誰も知らないはずの回線が、今も稼働状態で残っています。先代が亡くなっているのなら、この回線は本来、持ち主と共に閉じられているべきものだ」


「……父様の秘密の部屋? でも、あそこは父様が亡くなってから完全に封鎖されたはずよ」


「封鎖したつもりで、裏口(バックドア)が開けっ放しなんですよ。……何かが居座ってますね。しかも、外のネットワーク……じゃなかった、外の魔力源と通信してる形跡がある」


 俺は作業用のポーチから、デバッグ用の小型魔石を取り出した。


「お嬢様、カイルさん。護衛をお願いします。これから、このシステムの『大掃除』に行きますよ」

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