第005話:契約の更新。お嬢様はわがままなクライアント

 吸血鬼。


 その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏には前世の知識――不死身、高い再生能力、そして夜を支配する怪物、といったフレーズがよぎった。


 だが、俺の視界(コンソール)が弾き出したデータは、もっと無機質で、もっと「システム屋」にとって馴染みのあるものだった。


『Object_Name: Vampire_Lesser』 『Property: HP_Auto_Recovery(自動修復)』 『Attribute: Dead_Process(死んだはずの処理)』


(……なるほど。死んでるはずなのに、メモリから消えずに動き続けている『ゾンビ・プロセス』か)


 一度終了(キル)されたはずの処理が、何らかの不具合で居座り続け、リソースを食い潰しながら暴走している。運用監視員としては、最も放置しておきたくない、気持ちの悪いバグだ。


「死ねッ!」


 ジャックが、霧の拘束を強引に振り払い、右手のナイフを突き出してきた。  帯域制限で動きが重くなっているとはいえ、吸血鬼の身体能力は異常だ。    だが、通信環境を改善し、敵の座標をログとして捕捉している今の俺には、その動作の「予備動作(ラグ)」が手に取るようにわかる。


 俺は半歩だけ身を引き、ナイフの軌道をかわすと、逆手に持った支給品のナイフを、ジャックの心臓――ではなく、その少し横、魔力が集中している「中継点(ハブ)」へと突き立てた。


「無駄だ! その程度のナマクラ、吸血鬼の不滅の肉体の前には――」


「再生なんてさせませんよ。……今、あんたの『自動修復(リカバリ)』権限を一時的にロックした」


 俺のナイフを通じて、ジャックの体内に「エラーコード」を直接流し込む。  ジャックの瞳が大きく見開かれ、傷口から流れる血が、黒いノイズとなって霧散し始めた。


「な……!? 癒えぬ……傷が、塞がらぬ……? 莫大な魔力を注いでいるというのに、なぜ私の理が……っ」


「ただの強制終了(キル)ですよ。……さようなら、残業の原因(バグ)」


 俺がナイフを捻ると同時に、ジャック・ザ・リッパーの身体が、限界を迎えた古いハードディスクが砕け散るように、黒い粒子となって夜の闇に溶けていった。


「ハ……ハハハ! 素晴らしい! 人の身でありながら、我が主より賜りし不滅を汚す者が現れるとは! ……だが人間、思い上がるな。霧は未だ、夜を支配している」


 ジャックの姿がボロボロと崩れ、漆黒の霧へと還っていく。


「今の私は、私のすべてではない。……お前のその異質な瞳、そして奇怪な魔導。しかと記憶に刻んだぞ。いずれ我が本体が、お前の絶望する顔を拝みに来る……!」


 霧が完全に晴れ、静寂が砦を包み込む。  後に残ったのは、静まり返った城壁と、役目を終えて砕け散った安物のナイフだけだった。


「お、お嬢様! ご無事ですか!」

「吸血鬼は……あの化け物はどうなったんだ!?」


 遅れてやってきた重騎士カイルたちが、膝の震えを隠しながらアリサの元へ駆け寄る。  アリサは、それには答えず、ただ呆然と俺を見つめていた。


「ふぅ……。とりあえず、一時的な復旧(リカバリ)は完了です。……お嬢様、これ以上の作業は『時間外労働』になりますよ」


 俺は死んだ魚のような、冷徹な眼光をアリサに向けた。


「……契約の相談をしましょうか。この砦、というかこの世界……、放っておくとあと数日で全損(システムダウン)しますよ」


「……けいやく? あなた、今『復旧』と言ったの? あの吸血鬼が霧と共に消えたのは、あなたの魔法なの?」


「魔法じゃありません。俺はただのIT運用監視員ですから。……異常な挙動をしていたプロセスを、止めただけです」


「貴様ッ! お嬢様に何を不躾な……!」

 食ってかかろうとするカイルを、アリサが片手で制した。


「……カイル、下がりなさい。彼がいなければ、私は今頃ジャックに……我が一族が受け継ぐ『聖印』を奪われ、この砦の支配権を明け渡していたわ」


 アリサはゆっくりと俺に歩み寄り、深紅の瞳で俺を射抜くように見つめた。  

「レイン。あなたの言っていることは半分も理解できない。けれど、あなたが今の魔法を否定し、別の理で世界を救ったのは事実よ。……いいわ、あなたの力を貸しなさい。報酬は望むままに」


「話が早くて助かります、クライアント(お嬢様)。……ひとまず、福利厚生と、定時退勤。それから……」


 俺は、遥か彼方にそびえる「吸血鬼の主」がいるであろう不気味な城を見据えた。


「まともな作業環境(オフィス)を整えてもらいます。まずは、この穴だらけの砦の『セキュリティ診断』から始めさせてもらいますよ」


 銀髪のお嬢様と、疲れ切った運用監視員。

 月夜の城壁の上で、前代未聞の「保守契約」が結ばれた。

 それが、異世界の歴史を根底から書き換えることになる、史上最強の「保守運用チーム」の誕生の瞬間だった。

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