第004話:脆弱性は「霧」にあり

 カチャリ、と霧の奥で冷たい金属音が響く。  視覚情報は、濃密な霧によってほぼ無効化されている。周囲の騎士たちは、いつどこから「死」が飛び出してくるか分からず、ただ闇雲に剣を振るうことしかできていない。


「お、おい! どこだ! どこにいやがる!」


 重騎士カイルが焦燥に駆られ、叫び声を上げる。その声自体が、霧に反射して位置を特定できなくなっている。混乱した現場。統制の取れていない運用組織。前世で何度も見た最悪の障害発生時と同じ光景だ。


 だが、俺の視界は、彼らとは全く別の「レイヤー(階層)」を見ていた。


「……右、30度。距離20。……次は左、60度。距離15」


 俺が淡々と呟くと、アリサが驚いたようにこちらを振り向いた。


「レイン、あなた……見えているの?」

「いえ。映像(ビデオ)信号は死んでます。でも、パケットの往来(トラフィック)は丸見えだ」


 霧という名の「ノイズ」がこれだけ大量に流れていれば、その中を「異質なデータ」が動けば必ずログが残る。俺のデバッグ用コンソールには、敵が動くたびに発生する空気の摩擦、魔力の乱れが、赤い輝跡きせきとなってはっきりと表示されていた。  そして、その中心にある赤いウィンドウには、警告と共にこう表示されている。


『ID: Jack_the_Ripper』


(……この移動速度。物理演算を無視してやがるな)


 ジャック・ザ・リッパーが霧の中に消えるのは、単なる隠密術ではない。霧の粒子を中継器(ルーター)として利用し、自身のデータを高速転送しているのだ。


「お嬢様、俺が指示した座標に、一番初歩的な光魔法を叩き込んでください。出力は最低でいい。ただし、信号(シグナル)を途切れさせないで」

「えっ、あ、ええ! 分かったわ!」


 アリサが杖を向け、俺の指示した空間に細い光の筋を放つ。

 本来なら殺傷能力すらないその光が、霧の中を横切った瞬間。


 ――ガギィン!


 何もないはずの空間から、火花が散った。


「なっ……!? 当たった!?」

 カイルが驚愕の声を上げる。


「当たったんじゃない、そこに『いた』んだ。……あいつは霧の中に潜んでるんじゃない。霧を通信経路(パス)にして、自分の位置情報を高速で書き換えてるだけだ」


 要するに、あいつは「超高速で移動している」のではなく、ネットワーク上のデータを転送するように「瞬間移動を繰り返している」に過ぎない。

 ならば、対処法は一つ。  その経路を塞ぎ、帯域を絞って、あいつの動きを「重く」してやればいい。


「お嬢様、結界の範囲を半径三メートルにまで一気に絞ってください。余ったリソース(魔力)はすべて、この周辺の霧の『無効化』に回す!」

「そんなことしたら、私たちが丸裸に……! それに無効化なんて、この広範囲の干渉を打ち消すだけの術式なんて、私――」


「いいから! インフラの基本は『選択と集中』です! 全方位を完璧に守ろうとするから、帯域(マナの通り道)を食い潰されるんだ。……いいですか、あんたがやるのは『霧を払う魔法』じゃない。ただ、俺の指示した範囲の魔力を『一定のリズム』で固定することだけだ!」


 アリサは一瞬、戸惑いの表情を見せたが、俺の「死んだ魚のような、それでいて確信に満ちた目」を見て、覚悟を決めたように杖を強く握りしめた。


「――全魔力、局所展開! 聖なる光よ、私の命じる領域の『歪み』を正しなさい!」


 アリサが叫ぶと同時に、砦を包んでいた巨大なドームが急速に縮小し、俺たちの周囲だけを強固に護る高密度の防壁へと変貌した。

 と同時に、余剰となった膨大な魔力が、霧という名の「ノイズ」を強引に上書きし、視覚情報が急速に復旧していく。


「……あ」

 アリサが息を呑んだ。


 そこには、次の「転送」に失敗し、中途半端な姿勢で空中に固定されたジャック・ザ・リッパーがいた。  転送エラーを起こした動画のように、彼の身体はノイズ混じりでガタガタと震えている。


「ラグ(遅延)が発生しましたね、ジャック。……今、あんたの接続速度(コネクション)は、アナログ回線以下だ」


 俺は、手に持っていた安物のナイフを逆手に持ち替えた。  ジャックの顔が、驚愕に歪み――そして、次の瞬間、獲物を見つけた獣のような禍々しい笑みに変わる。  その瞳が、赤く、血の色に輝いた。


「……ハ、ハハ。面白い、ゴミめ……。人間が、私の『権能(ちから)』の理を暴いたか……」


 男の口から漏れたのは、人間のそれとはかけ離れた、響くような低音。  その背後に、巨大な蝙蝠こうもりの翼のような幻影が一瞬だけ揺らめいた。


「レイン、気をつけて! その赤い瞳、奴はただの暗殺者じゃない、吸血鬼(ヴァンパイア)よ!」


 アリサの警告が響く中、俺は冷徹にターゲットをロックした。


「吸血鬼だろうが神様だろうが関係ない。俺にとっては、システムを止めるただの害虫(バグ)だ」


 俺は、処理落ちを起こして身動きの取れないジャックの懐へと踏み込んだ。

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