第003話:仕様書なき防衛戦。俺の仕事は『事後対応』

「……あ、あんた、今何をしたの?」


 銀髪を夜風に揺らしながら、アリサは呆然と俺を見つめていた。  彼女の深紅の瞳には、驚きと、それ以上に「理解不能な現象」への戸惑いが浮かんでいる。


「何をしたかって言われても……。ただの最適化(チューニング)ですよ」


 俺は杖から手を離し、軽く肩を回した。  ひどい肩凝りだ。転生しても、データセンターの冷気に晒され、サーバーラックと睨み合ってきた「インフラ屋」の職業病まではリセットされなかったらしい。  視界の端では、青白く安定した魔方陣が、砦の門を静かに守り続けている。先ほどまでのノイズまみれの光は消え、結界の出力は一定(スタティック)に安定した。


「ちゅーにんぐ……? わけのわからない言葉を使わないで! それに貴様、その格好……ただの三等門番じゃない。なぜそんな下級兵士が、我が一族に伝わる秘伝の防衛術式に干渉できるのよ!」


「ああ、この服ですか。……支給されたものを着てるだけですよ。」

「名前はレイン。この砦の末端の保守要員……らしいです」

俺は胸元に無造作に下げられた、錆びかけた金属板――兵士の認識票(ドッグタグ)を指で弾いて見せた。そこには、この世界の共通言語と思われる文字と、その横にシステムフォントで『User_ID: Rain』と浮かんでいた。


 アリサが詰め寄ってくる。  銀髪から微かに香る高貴な花の香りと、魔法の使いすぎで焦げたようなオゾン臭。    彼女の言い分はわかる。だが、俺からすれば、この「秘伝の術式」とやらは、旧世代の設計思想で作られた、継ぎ足しだらけのスパゲッティ・システムだ。  魔力を供給する経路(ライン)の太さがバラバラで、あちこちでパケット詰まり(通信渋滞)を起こしている。よく今まで全損(ダウン)しなかったものだ。


「あんたたちのやり方は効率が悪すぎます。要求する防御出力に対して、魔力の供給パイプが細すぎる。そのギャップを精神力で無理やり押し流せば、いずれ魔力回路がパンクして死にますよ。……あんた、さっき死にかけてました」


「それは……っ」


 アリサが言葉に詰まる。  十八歳前後だろうか。その若さで、この巨大な砦のインフラ維持を、ろくなマニュアル(仕様書)もなしに丸投げされている。

 (……ああ、嫌だ。この子も、無茶な運用を押し付けられた現場担当者か)


「おい、レインと言ったか! 貴様、お嬢様に対してなんて口を叩きやがる!」


 重騎士カイルが大剣を引き抜いて割って入る。だが、俺の目には彼の頭上に『Packet_Loss: 15%』という数値が見えていた。鎧に刻まれた魔導回路の接触不良だ。


「……悪いけど、今はあんたの相手をしてる暇はないんだ。同期の取れてない攻撃は当たらない」


 俺は城壁の端に立ち、霧の奥を凝視した。  その霧は、ただの天候不順ではない。俺の視界には、その正体が明確な「攻撃」として表示されている。


『Packet_Type: Flooding_Mist(氾濫する霧)』 『Property: Network_Jamming / Vision_Masking(通信妨害/視覚遮断)』 『Source: External_Unauthorized_Access(外部からの不正アクセス)』


「……やっぱり、これは外部からの干渉だ。物理的な霧に見せかけて、砦のセンサー(索敵魔法)に大量のダミーデータを送りつけてる。これじゃあ、敵がどこにいるかなんて判別できない。典型的なDDoS攻撃(負荷をかけてシステムを麻痺させる攻撃)ですよ」


「消えたのよ! 『奴』は霧に紛れて、どこからでも現れるの!」


 アリサが杖を握り直し、震える手で防御魔法を再展開しようとする。  だが、その術式は、再び霧のノイズに干渉され、形を成す前に霧散した。


「くっ、魔力の通信が遮断されている……!? 魔法が届かない!」


「当然です。霧そのものが、このエリア一帯の帯域(マナ)を食い潰してる。要するに、回線を占拠されてるようなもんですよ」


 霧の奥から、一人の人影がゆっくりと歩いてくるのが見えた。  シルクハットを深く被り、長い黒のコートを纏った男。  その両手には、霧の光を不気味に反射する、解剖用のナイフが握られている。


 男の頭上に、俺の視界が赤い警告文字を叩き出した。


『ID: Jack_the_Ripper』 『Status: Infiltrating_via_Vulnerability(脆弱性を突いた侵入)』 『Target: Admin_Account(管理者アカウント)』


「……なるほど。あいつが、この砦のセキュリティホール(守りの薄い箇所)を突いてくるバグの『具現化』か」


 ID: Jack_the_Ripper=ジャック・ザ・リッパーが、不気味に口角を上げた。  次の瞬間、彼の姿が霧の中に溶けるようにして消えた。


「消えた!? どこよ、どこへ行ったの!」


 アリサが悲鳴を上げる。  だが、俺の目には見えていた。  霧という「ノイズ」の中を、異常な低レイテンシ(低遅延)で移動する赤い輝跡(ログ)が。   「お嬢様、落ち着いてください。……これは魔法戦じゃない。ただの『不正アクセスのフィルタリング』です」


 俺は、懐から支給品の安物のナイフを取り出した。  武器としての性能は期待していない。ただ、これを通じて「コマンド(命令)」を流し込めればそれでいい。


「これより、悪意あるプロセスの強制終了(キル)を開始します。……アリサさん、あんたは俺の後ろで、ただ結界の出力を一定(スタティック)に維持しててください。余計な信号は送らなくていいですから」


 俺は、死んだ魚のような、それでいて異常に鋭い眼光を霧の「一点」に向けた。   「監視員の夜は、ここからが本番だ」

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