1.お気に召すまま

 「な、なぁ、どうしよう、英美さん……??」


 “TranceBalance”から出て(というか追い出されて)、混乱した頭を落ち着けるべく24時間営業してるマ●ドに入ったふたり。


 幸いにも2階の客席に人影はほとんど見られなかったので、隅の方の席で小声で話すぶんには問題ないだろう。


 「どうしようって……このまま帰るしかないんじゃない? 店員さんの反応とか見る限り、マスターの言ったことは事実みたいだし」


 オロオロとプチパニック状態に陥っている青年に比べると、彼女の方は随分と肝が据わっていた。


 「まぁ、私はともかく、キミの場合はそのまま素でも女に見えないことはないかもね」


 クスッと笑われて顔を赤くする青年。


 「男仕立てのスーツでマニッシュに決めている」と主張できないでもない彼女(しかも刈り込んだ髪型とあいまって結構似合っている)に比べて、自分がどう見ても女装しているのは明らかだったからだ。


 前合わせが男性物とは逆で、しかも随分と丈の短い──腰に届くぐらいしかないジャケット。色もラベンダーパープルで普通の男物のスーツにはあまりない色合いだ。


 その下に着ているブラウスも、ツルツルした肌触りの化繊製で男のYシャツとはまるで着心地が違う。ボタンの付き方も反対だし、袖口や襟元に細かいレース飾りがついていることが、如実に女物であることを主張していた。

 胸を軽く締め付けられるような感覚からして、おそらくは下にブラジャーも着けさせられているのだろう。


 しかしながら、それらはボトムの違和感に比べれば、まだ些細なものだった。

 今の彼は、男性ならまず一生縁がないはずの「タイトミニスカート」を身に着けているからだ。


 学生時に文化祭や運動会などで余興的に女装させられる男もいないわけではないだろうが、そういう時は大抵、女子制服か体操着(ブルマーかスパッツ)あたりが定番だ。あるいは、いかにもコスチューム然としたメイド服や舞台用ドレスとかだろう。


 しかし、今、彼が履いている(履かされている)のは、ごく普通に街角を歩いているキャリアウーマンっぽいタイトミニなのだ。しかもその下にベージュのパンストと臙脂のパンプスまで履かされいるので、恥ずかしさはさらに倍増だった。


 彼女の慰め(からかい?)の言葉はともかく、いかに自分が童顔とは言え、見る人が見れば「男が女装して表を歩いている」状態に間違いないだろう。


 「こ、このまま帰るって……英美さん本気!?」

 「うん。キミも既にわかっているはずだけど? 現在、私達ふたりの立場は、入れ替わっているんだから、私が初瀬川家に、キミが病院の女子寮の私の部屋に帰るのが妥当だと思うよ」


 元々、太田英美はしっかり者ではあったが、突拍子もない非日常的事態に、ここまで冷静に判断を下せるとは、実は自分でも驚きだった。


 「それに、お店で飲んでる時も言ってたよね。私は看護師よりも医者に、逆にキミは医者よりも看護師のに、本当はなりたかった。だったら、コレはまたとないチャンスじゃない?」


 あるいはそれは、歪な形とは言え、見果てぬ自分の夢が叶ったことへの喜び故か。


 「それは……そうだけど……」


 その点を指摘されると、青年の方も否定はできない。確かに、「看護師として働く」ことを望んでいたのは事実だからだ。


 「でも、いきなり今日からしばらく英美さんとして暮らせって言われても……」

 「そうでもないと思うよ。じゃあ、聞くけど、キミが今住んでいる女子寮の部屋がどこかわかるかな?」

 「へ? そんなの205号室に決まって……あれ?」


 自分は英美から部屋の番号まで聞いたことがあったろうか?


 「じゃあ、明日、と言うかもう今日だけどの勤務予定は?」

 「朝番で9時出勤──だけど、今日は婦長会議があるから30分早めに入らないといけないはず……」


 「今担当している患者さんで一番の難物は?」

 「807号の高木さん。言葉と視線によるセクハラがヒドいって部下の子たちからも苦情が絶えない……って、ええぇっ!?」


 彼女の問いに、スラスラと答えてしまってから、ハッと口を押さえる。


 「ね? 私がキミ、キミが私として暮らすのに必要な知識は、すでに頭に入っているみたいなんだよ」


 彼女はニヤリと不敵に笑った。


 「あるいは、何でもいいから医大での専攻科目のこととか思い出してみなよ」

 「えっと……」


 そう言われて、懸命に学生時代の勉強を思い出そうとするが、浮かんでくるのは「看護学I」とか「栄養学概論」といった看護師に必須の知識ばかりだ。


 「そ、そんなバカな……」

 「な? わかっただろ。今は私が新人医師の初瀬川英一、そしてキミが小児科婦長の太田詠美なんだよ」


 茫然とする「詠美」の肩になれなれしく手を置いて、「英一」は楽しそうにそう言い聞かせるのだった。

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